当たり前が崩れ去った「かつてない危機」に立ち向かう

2020年春から約3年にわたり、私たちの生活や意識に大きな影響を及ぼした新型コロナウイルス感染症。JR九州のグループ会社で流通小売部門を担うJR九州リテールにも、かつてない危機感があったと、同社取締役常務執行役員の大江貴尚氏は打ち明ける。

「2020年当時、私はJR九州にて勤務していましたが、駅に人がいなくなり、一番ひどいときはコロナ前の10%台まで落ち込んで…。それまで鉄道は普段数の増減があるかないかの世界。それが2020年の春先は80%減を超えていましたから、まさに未曾有の事態でした」

〈▲ 2020年5月某日の博多駅。駅前にも関わらず人の姿はまばら画像:PIXTA〉

JR九州リテールの主力事業「銘品蔵」は、菓子・食品をメインにしたお土産のセレクトショップ。九州各地の駅を中心に17店舗を展開している。「駅の一等地に店があれば、人が寄ってくれる」というモデルの上に成り立つ商売だ。だが、そもそも人が外出しなくなったとき、モデルはもろくも崩れ、苦しい時期が1年以上続いた。

「旅行や出張の方が来られないなら、地元の方にいいものを知っていただく機会にしようと、九州のカレーやご飯のお供フェアを実施したり、箱菓子ではなく単品の品ぞろえを強化。また、普段は銘品蔵で販売することができない東京のお土産『東京ばな奈』を期間限定で販売。賞味期限が近い商品をムダにしないようにフードバンクなどの寄付先を探したことも…。とにかく柔軟にさまざまなことを試して、学ぶことがたくさんありました」(大江氏)

2022年の秋から駅やまちに人が戻り始め、2023年秋にはようやくコロナ前の水準に回復してきた。そんなさなかの2023年8月4日、JR九州リテールでは大きな2つの挑戦が幕を開けた。

福岡空港内に「おみやげセレクト九州銘品蔵」をオープンしたこと。さらに自社ブランド「博多運盛(うんもり)」の商品を初めてリニューアルしたことだ。

8月4日は、縁起の良い「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」「天赦日(てんしゃにち)」「大安」の3つが重なる最強の開運日。あえてこの日を選んだというから、新たな挑戦にかける思いの強さが感じられる。

未曾有の事態から続いた苦しい3年間を経て、新たに始めた2つの挑戦。その背景と思いについて、大江氏に伺った。

大江貴尚さん

おおえたかひさ。福岡出身。1997年JR九州(九州旅客鉄道株式会社)に入社し、財務をメインに経営企画や人事業務などに従事。2023年4月からJR九州リテールに出向して、取締役常務執行役員専門店事業本部長兼商品部長を務める。

福岡空港に「おみやげセレクト九州銘品蔵」をオープン

〈▲ 福岡空港国内線の保安検査を通過したエリアに生まれた「おみやげセレクト九州銘品蔵」。これまで駅で展開してきた銘品蔵としては、初めて空港への進出となる〉

「おみやげセレクト九州銘品蔵」があるのは、保安検査場/南を抜けた11番ゲートの近く。100㎡の売場に約450商品がそろう。

なぜ、空港への出店を決めたのだろうか。

「銘品蔵は、JR九州の主要な駅にはすでに出店しています。次なるフィールドを考えたとき、空港にチャンスがあるのではないかと数年前から検討していて。店舗の入れ替えでスペースが空くと聞き、出店に踏み切りました。

銘品蔵のミッションは、九州の素晴らしいお土産を多くの方に知っていただくことであり、それが九州を元気にすることにつながると信じています。これまでは陸の交通結節点である駅で展開していましたが、空港ならさらにお客さまと接するエリアと可能性が広がると期待しています」

空港店には、他の銘品蔵と違う特徴がある。まずは、九州各地のお土産を扱っていること。

「駅の銘品蔵にはその地域のものを中心に置いていますが、空港店は“九州の玄関口”と位置づけ、福岡の主要な商品を置きつつも、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島と九州7県の特色ある商品をそろえました。九州全体の歴史や魅力を発信できる店にしたいと考えています」

〈▲ 九州各県から厳選したお薦めの商品が並ぶ〉

また、福岡の本格クラフトビールをサーバーからカップで出すのは、駅の店にはないサービス。他にも、福岡で人気のパン屋「Full Full(フルフル)」店舗で1日1000本以上売れる明太フランスの焼き立てをご家庭でいつでも楽しんでもらうために開発された冷凍の明太フランスや、100円台で広く愛される「パオミクルクレープ」など、空港ではここだけの商品も豊富にそろう。

〈▲ 福岡のクラフトビール「ブルーマスター」は、その場で飲むことができる〉

九州の隠れた銘品の中でも選りすぐりをラインナップ

そもそも銘品蔵は、有名な定番のお菓子だけでなく、まだ知られていない隠れた銘品を扱うことにも重きを置いている。JR九州リテールのスタッフが九州をめぐり、自分たちが惚れ込んだものを仕入れる。それが九州の持続的な発展につながると考えているからだ。

しかし、有名なものと一緒に店頭に並べると、マイナーなものはやはり埋もれてしまう。加えて、お客さまとしては、お土産選びで失敗したくないという心理が働き、つい定番に手が伸びがちだ。

「スポットが当たらなくても、いいものを愚直に作っている生産者は九州にたくさんいらっしゃいます。銘品蔵は九州の主要駅にあって、その地域のいいものを集めています。その中でも、現地スタッフの声や売上実績をもとにとっておきの商品を厳選して、福岡空港に置いています。県名のポップや『福岡空港ではここだけ!』というポップを参考に、お客さまに新鮮な出会いを楽しんでいただきたい」

〈▲ 九州各県の“地域のいいもの”が揃う空港店〉

空港店のオープンから4か月ほど経った。売上はまずまずで、店の存在を知ってもらうために近隣のホテルにクーポンを置かせてもらったり、SNSを活用したりと周知活動を進めているところだ。

「この店を軌道に乗せることができれば、福岡空港の保安検査場の外のスペースや、九州の他の空港での展開、銘品蔵以外の業態での出店など、空港のチャネルを通した事業拡大の道筋が見えてくる」と今後を見据えつつ、初の空港店で果敢に試行錯誤を重ねていくつもりだ。

自社ブランド「博多運盛」の商品を初めてリニューアル

もうひとつの挑戦が、自社ブランド「博多運盛」の初となる商品リニューアル。空港店オープンと同じ8月4日に発売を開始した。

博多運盛は、もともと福岡の女性2人が2014年に立ち上げた縁起菓子ブランド。『皆さまに素敵な運が届きますように』と、ぎんなん、にんじん、いんげん等々、「ん」のつく野菜を食べて、「運」を「盛」るという昔ながらの縁起担ぎ「運盛り」をコンセプトに掲げた博多発の新しい手土産として、地域の人たちに親しまれてきた。

〈▲ 冷泉公園の前にある博多運盛の店舗。シンプルな佇まいで凛とした空気感を醸す〉

博多運盛をさらに多くの人に届けたい――創業者の思いを受け、 JR九州リテールが2020年7月に事業譲渡を受け、自社ブランドとして再生。“九州中のいいもの”を届ける小売業者の枠を越えて、作り手となった瞬間でもあった。

「当社としては初めてのM&A。博多区中洲エリアにお店を構え、地元の方が思いを持って始めた事業で、縁起菓子を届けるという理念にも共感して、お客さまにもっと喜んでもらえるようにとお引き受けすることに決めました」と大江氏は背景を説明する。

そして引き継ぎから約3年後、リニューアルに至った。

全4種ある縁起菓子の中で、創業時から一番人気は「うんどら」。8種のあんこは、なんきん(かぼちゃ)、れもん、れんこん、いんげんなど、全て「ん」がつく野菜や果実。

「リニューアルにあたっては、少しでも九州産のものを使うことにこだわり、どらやきの皮に使うはちみつを九州産に変えました。また、お客さまの声を受けて個包装にしました」

〈▲ 一番人気の「うんどら」はかわいらしい小さなどらやき〉

今回、新しく発売した商品もある。「めでたフィナンシェ」は、福岡・八女産のお茶を使った抹茶とほうじ茶、佐賀・嬉野産のお茶を使った和紅茶の3種類がそろう。

「お茶の葉は摘んでも次々と新芽が出るため、日本では“お芽でたい”贈り物として親しまれてきました。そこで九州産の小麦とバターを使った生地に茶葉を入れて、お茶の風味をしっかり楽しめる大人のフィナンシェに仕上げました。

〈▲ 九州のお茶をつかった「めでたフィナンシェ」〉

実は事業譲渡の際、もともとあったお茶のお菓子は長野県で作られていたため終売にした経緯があります。その代わりに、九州産の素材で九州の工場で製造する、こちらのフィナンシェを開発しました。九州のお土産は、やはり九州で作ったものであってほしいし、それが地域を盛り上げることにつながると考えているからです」

思いやる心を込めた縁起菓子を大切に育てていきたい

自社ブランドを手掛けること。それはJR九州リテールにとって、未知の世界を歩むことと同義だ。

「自分たちでゼロから商品を企画し、品質を管理して製造することがこんなに大変だとは知りませんでした…。フィナンシェは3年かけてようやく納得のいくものができて、ホッとしているところです。メーカーさまのご苦労を理解できるようになり、私たちの器がちょっと広がった気がしています」

博多運盛は、相手を思いやる心を届けられる縁起菓子で、贈る人も贈られる人も幸せな気持ちになる。そんなコンセプトのもとで一貫して商品を作っているお菓子ブランドは、よくよく考えてみると、他に聞いたことがない。

〈▲ 博多運盛の店舗では店長が心を込めて、水引を結ぶ。博多運盛の全商品を買えるのは、この店と福岡空港の「おみやげセレクト九州銘品蔵」、博多駅の「博多銘品蔵博多口店」、熊本の「九州PREMIUMアミュプラザくまもと店」の4店舗のみ〉

「お客さまに商品に込めた思いをご説明すると、『おー、なるほど!』と喜んでいただけることがうれしくて。お買い上げいただくお客さまから『おめでたい席に持っていきます』『おいしいのはもちろん、思いを語れるのがいい』というお声もたくさんいただいています。

『九州でこんな面白い縁起菓子があった』と話題にしてもらったり、親族や友人のお祝いで召し上がったり、お店の開店や企業の周年記念パーティのお土産としてご利用いただいたり。駅や空港のお土産店にズラリと積まれている有名商品とはひと味違う、独自のポジションだと自認しています。初めての自社ブランドのお菓子として、これからも大切に育てていきます」

〈▲ 博多運盛について語る大江氏は実に楽しそう〉

この夏、従来の仕事の領域から一歩踏み出し、2つの挑戦を始めたJR九州リテール。

「空港への出店も博多運盛のリニューアルも、これまで培ってきたネットワークや強みを生かして、九州のお取引先に新たな機会をご提供することにもつながりました。社内をみても、未知の分野に挑むことで、今までとは違う社員の活躍ぶりや成長を感じられました。挑戦すれば、楽しいことやワクワクすることがある一方で、もちろん新たな悩みや課題に突き当たり、人も事業も会社も成長していきます。

九州のいいものをより広く知っていただくために、そしてJR九州グループが掲げる住みたい・働きたい・訪れたい九州を実現し、地域の持続的な発展に寄与するために、私たちは泥臭く挑戦を続けていきます」

撮影/勝村祐紀
イメージカット/PIXTA

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九州の“いいもの”を、もっと 2023年、JR九州リテールが始めた2つの挑戦

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