「新出光」――この社名から、どんな事業をイメージするだろうか。
企業自体を詳しく知らなかったとしても、「出光」の響きからガソリンや石油といったキーワードを思い浮かべる人は多いことだろう。
石油事業は新出光の祖業であり、現在も核をなす事業であることは確かだが、その事業展開は10年ほど前から変化を続け、そして現在、その流れをさらに加速させようとしている。
石油事業だけの企業から脱却をめざし、2026年に迎える創業100周年時のあるべき姿を定めた「Target100」が始動したのは2008年のこと。想定を上回る速度で事業構造の大改革が進んでいた矢先に突如として訪れた、脱炭素社会の波。
新出光の代表取締役でありIDEX(=新出光のマーケティング名称)グループのCEOを務める出光泰典氏の口からは、石油やエネルギーを扱う企業として正面から向き合わざるを得ない「脱炭素」への偽らざる本音が語られた。そして、新出光にとって“脱”炭素に並ぶ、もう一つの重要な「脱」についても聞くことができた。
出光 泰典さん
いでみつ やすのり。1962年生まれ。福岡市出身。九州大学経済学部卒業後、埼玉銀行(現りそな銀行)を経て、92年に新出光入社。取締役、東京支店長、常務経営企画部長などを経て、2011年6月、5代目社長に就任。16年より全石連(全国石油商業組合連合会・全国石油業共済協同組合連合会)の副会長も務めている。ジャズ鑑賞、格闘技観戦、ゴルフ、旅行と多趣味。最近はスパイスカレー作りに凝っている。
石油需要が下降線をたどる中での5代目社長就任
「苗字に対するコンプレックスは子どもの頃からありました。名前が『出光』だと明かすと、『あの出光の息子か』という目で見られて、子どもながらに違う空気感を醸し出されていたことは、よく覚えています」と、出光泰典氏が幼少期の思い出を語るように、「出光」と聞くと、人の横顔のロゴマーク(ギリシャ・ローマ神話に登場する太陽神「アポロ」がモチーフ)のSS(サービスステーション)が浮かぶ人は多いだろう。
断っておくと、あのアポロマークを企業ロゴにしているのは出光興産株式会社。新出光は異なる企業だが、出光興産(当時:出光商会)の創業者であり、『海賊と呼ばれた男』のモデルにもなった出光佐三氏と、新出光の創業者である出光弘氏は兄弟。弘氏は出光商会の博多支店長を経て1926(大正15)年に新出光(当時:太田鉱油店)を設立した。つまり、新出光は出光興産の“のれん分け”といえる。
幼少期から出光姓を意識せざるを得ない環境や、若さゆえの反発心もあって、出光泰典氏は大学卒業後、埼玉銀行へと入行する。出光の名が何の影響も及ぼさない業界、企業を探し抜いての選択だった。
「私が銀行にいた頃は、バブル全盛期。苦労せずに利益が得られた特異な時代でしたから、あまり勉強にはなりませんでしたね(笑)。骨をうずめる覚悟で入行したものの、父(3代目社長)も叔父(4代目社長)も新出光にいましたから、いずれ戻ることになるかもしれないとは、心のどこかで考えざるをえませんでした。
当時専務だった叔父から、戻ってきてほしいと言われたのが、30歳を目前にした頃。戻るなら30歳を区切りにしようと自分の中で決めていたこともあって、これが自分の運命なのだと覚悟を決めました」
泰典氏が家業に戻るリミットを30歳に設定していたのは、SSで働くことを想定してのもの。入社後に、新出光の成り立ちであるSS業務を経験するのであれば、体力のあるうちに戻らなければと考えていたのだ。
「まだ若いつもりでしたが、恥ずかしながら通用しませんでした。スーツに革靴の銀行員から、作業服でコンクリートの上を走り回るSSスタッフへと仕事が一変し、1年ももたずに腰がパンク…現場では何の戦力にもなれなかったけど、あの時期にSSが世の中のインフラとして存在していること、それを支える人たちの日々の苦労を知ったことは、非常に大きかった。社長となった今でも、何か決断を下す際のベースになっています」
その後、泰典氏が様々な部署を経てステップアップしていくのと同じくして、国内の石油需要は増加の一途をたどり、氏が取締役需給部長となった2003年頃には、SSの売上がピークに達する。しかし、それも長く続かず常務となった2008年には、石油需要は確実に下降線をたどっていた。
「2006年に創業80周年を迎え、100周年が視野に入ってきたものの、このままだと100周年を迎えられないという危機感は強くありました。それまでは、石油という確固たる商材があって、その価格と量のことだけを考えていれば良かった。それでビジネスが成り立っていたから、他のことを考えていなかったんです。これはマズいと思いましたね。“石油一本足打法”のままでは新出光の未来はないと考え、事業構造の変革に着手したのが2008年のことです」
こうして、創業100周年を見据えたプロジェクト「Target100」を始動。当時常務経営企画部長だった泰典氏が中心となってプロジェクトチームを結成し、“石油の新出光”からの脱却を推し進めていった。
創業100周年に向けて、非石油事業の拡充を図る
「Target100」で掲げたのは、石油事業と非石油事業の経常利益の比率を、創業100周年を迎える2026年までに5:5の割合にするというもの。2011年に泰典氏が社長に就任すると共に、事業方針の大幅な方向転換を図った。
「クルマのことなら何でもIDEX」を標榜し、レンタカーや保険、中古車販売、輸入車販売を手掛ける自動車事業は非石油事業を牽引する事業の一つ。2009年に米国バジェット社の日本国内総代理店となり、バジェットレンタカーを全国にFC展開している。
九州管内での販売量2位を誇る、電力事業も非石油の核となる事業。特定規模電気事業者(PPS事業者)として、法人向けの高圧電力販売と、一般家庭向け「イデックスでんき」の販売を行っている。
他にも不動産事業やオフィス事業(RPAを使ったICTサポート、OA機器販売・リース、人材派遣など)、意外なところでは、ミネラルウォーターの販売や、「コメダ珈琲店」、コインランドリー店「WASHハウス」の運営といった食と暮らし事業も展開。石油だけの企業だった新出光は、「ドライブ」と「エネルギー」を中心に、4分野6事業領域で暮らしを支えるイデックスグループへと変貌を遂げている。
「長年石油に依存して他のことにチャレンジしてこなかったからこそ、生半可な気持ちでは変わらないと思い、社長になってからは大ナタを振るいました。当時40代の私が、80年以上続けてきた石油事業以外のことを次々と始めていくわけですから、父や叔父の心中を察するに、冷や冷やものだったと思いますよ。でも、私に社長を任せたからには、好きなようにやらせてくれた。これは有難かったですね」
泰典氏の不退転の覚悟に加え、「Target100」の推進に一役買ったのが、2013年にスタートした全社的なアイデアコンテスト「NEXT NAVIGATOR」である。新規事業のアイデアを、部署や役職の垣根を払って募集するもので、その応募数は年々増加。ベテランから新人、そしてアルバイトにいたるまで、年間600件以上のアイデアが寄せられるまでなった。
過去には若手社員のアイデアがグランプリを受賞したこともあり、4分野6事業の先へと続くチャレンジを推進する新たな企業文化として根付き始めている。その結果、2026年の創業100周年時に石油事業:非石油事業の経常利益を5:5にするという「Target100」の目標は、予想を上回るペースですでに達成。
今後は、非石油事業をさらに拡充させようと挑もうとしている中、今まさに新出光の根幹を揺るがすような波が急速に広がりをみせている。「脱炭素社会」をめざす世界的な動きである。
主体性なき日本の脱炭素への取り組みに対する本音
地球温暖化の防止に向けた取り組みが全世界的に広がりを見せている。その一環として、欧米諸国で「脱ガソリン車」へと移行する方針が次々と打ち出されている。
国内においても、2020年10月に菅首相が「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、『2050年カーボンニュートラル』の実現を目指す」と宣言。燃やすことで二酸化炭素が発生する石油とはじめとした化石燃料の使用を抑制する取り組みは、加速度的に進んでいる。
非石油事業の割合を年々高めているとはいえ、新出光にとってSSをはじめとした石油事業は現在も事業の根幹である。石油需要が減っていく未来を見据え「Target100」をスタートさせてはいるが、「いずれ石油事業が立ち行かなくなる」の「いずれ」は、想像をはるかに上回る速さで迫ってきている。
「環境に配慮しない企業が今後生き残れるはずはありません」と、脱炭素社会への転換に対して理解を示しつつ、泰典氏の話は続く。
「あまりに現実離れした目標、また極端な議論に偏りすぎていることに怖さを感じています。エネルギー政策は国民の生活や経済活動の根幹をなすもの。そしてその国の資源や地政学的条件により、それは大きく左右され、慎重に舵取りされるべきところを、しっかり考慮されることなく、脱炭素という“正義”に向かって突き進んでいる。そこに対する議論も十分になされないまま、数字だけがひとり歩きしていることは憂うべきだと考えています」
「脱炭素に関する国の目標については『本当に、それでやるおつもりですか?』というのが一事業者としての正直な意見です。この国のエネルギー政策は迷走し続けています。太陽光をはじめとする再生可能エネルギーに関してもそうです。
電力の小売り自由化に伴い、当社をはじめ多くの企業が市場に参入しましたが、参入時には存在しなかった制度とか市場(容量市場、ベースロード電源市場など)が、後から後から出てくる。参入障壁を下げた後のことをどう考えていたのか。制度変更のたびに右往左往させられていますが、おそらく新電力(新規参入の小売り電気事業者)は今の10分の1程度に淘汰されることになるでしょう。結局、国が新電力をどうしたいのか、この国のエネルギー政策をどう考えているのかが、見えてこないんです」
石油事業で身を起こした老舗の5代目社長として、大きな時代のうねりの渦中でかじ取りを迫られる戸惑い、覚悟、憤りといった様々な感情を正直に打ち明けつつ、グローバルな脱炭素社会への流れの中で、果たすべき使命を泰典氏は次のように語っている。
「石油は今後もしばらくは一定の役割を果たすべきエネルギーであり続けるだろうと思います。これは我田引水ではなく、客観的事実からもそう申し上げたい。もちろん環境は疎かにできないけれども、人の生活や命を守りながら、どう石油依存を減らしていくか。これからも、当社が果たすべき役割を追求していきます」
「その中で意識すべきは、エネルギー・ベストミックス。なにかひとつに偏るのではなく、電気、石油、ガス、合成燃料等様々なエネルギーをバランスよくミックスさせることで、地政学的なリスク、自然災害にも対応できる体制を整えるべきでしょう。発電方法にしても、再生可能エネルギーの比率を極端に高めた場合、その実現にどんなリスクがあるのか、国民にどんな負担が生じるのかをもっと検証するべきです。そして私たちは地域に根ざしたエネルギー会社です。地球全体(=グローバル)の潮流を意識しつつも、足元の地域(=ローカル)をしっかり見据えて、地域独自のエネルギー・ベストミックスを構築していけるよう、事業を推進していきたいと思います」
脱炭素以上に重要なテーマ、それは「脱出光」
今、泰典氏が向き合っている課題は脱炭素だけではない。氏曰く、「実は、当社にとって脱炭素と同じか、それ以上に大切なテーマ」というのが「脱出光」である。
「社員にもまだ、明言はしていないのですが」と、泰典氏はこう続ける。
「父、叔父、私が社長を続けてきましたが、私には跡取りがいません。来年で60歳になりますし、後継者の事は常に考えています。次期社長がどうなるかは分かりませんが、早かれ遅かれ、出光家以外の人間に経営の舵取り任さねばならない。そういう意味での『脱出光』です。
石油への依存から脱却して事業を広げてきたように、世襲で社長を務める旧態依然とした体制からも脱却を図るべき時。社員がキャリアアップを図る上で、社長になることを諦めてしまう環境って、不自然ですよね。新出光、そしてイデックスグループが、これからもう一段階ステップアップするためにも、社員が社長をめざせる会社へと企業風土を変えたいと思っています。『脱出光』、僕が在任中に必ず成し遂げたいテーマです。
2014年に『なくてはならないなにかを』というコーポレートメッセージを打ち出しました。石油の出光から、ドライブやエネルギーの企業へ。脱炭素社会の中でエネルギー構成がどう変わっていったとしても、エネルギーを安心してお客様に届けられる存在でありたいですし、モビリティに関しても『IDEXにお願いしたら何でも解決してくれる』という頼りがいのある企業でありたい」
2026年に迎える創業100周年の大きな節目まで、あと5年を切った。100年企業となり、「脱石油」「脱出光」を成し遂げた先で、新出光、そして、イデックスグループは、どんな未来を歩んでいくのか。一番楽しみにしているのは、他でもない、出光泰典氏自身なのかもしれない。
撮影/東野正吾
entry
メルマガ登録
求人情報を希望する方は、
必要項目をご記入ください。
取材後記
担当・近藤耕平
非石油事業を急速に拡充しているとはいえ、石油を生業として発展してきた「出光」と名の付く企業に対し、脱炭素、脱石油に対する世の中の動きについて聞かないわけにはいきません。石油事業を手掛ける新出光にとって、間違いなくアゲインストといえる状況の中、出光泰典社長は質問に対してはぐらかすことなく、正面から本音をさらけ出してくれました。『僕の名前って真ん中に線を引くと、どの漢字も左右対称なんです。てんびん座でもありますし、バランスをとる星の元に生まれたんですかね』とユーモアを交えつつ、特定のエネルギーに偏らないベストミックスな社会を理想とする考えを、ロジカルに展開。最後には、同席した社員の方も驚く「脱出光」についての決意まで聞くことのできた、“とれ高満点”の取材でした。