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いつ、何が起きてもおかしくない。「経験したことのない規模」と表現される天災が突如として起こり得る時代を、私たちは今、生きている。

災害多発時代を生き抜くためには、備えが肝心だ。例えば自分が暮らす場所のハザードマップを確認し災害リスクを正しく知ること。災害時の避難方法もあらかじめ決めておき、家族や身近な人と共有しておくこと。平時から必要な物資を蓄えておくこと。もっとも個人の防災意識を高めること、備えることは大切なことではあるが、個人の意識や努力だけでは限界もある。もっと地域ぐるみで防災・減災を叶えていける社会をつくりあげていく必要があるだろう。

IoTやAIが発達し、高度な情報が手に入る時代。ある程度の科学的予測もできるようになっている。しかし、適切な災害対応や減災社会の実現に向けて、それらの情報をいかに有効活用するかについては、まだ焦点が絞られていない。

そんななか、近年注目を集めているのが大分大学減災・復興デザイン教育研究センターだ。通称、CERD(サード)。地方の国立大学内に設置され、災害調査、防災教育、復興デザインをミッションに掲げるCERDは、産学官の垣根を越えながら、そして地域と連携しながら、全国に類を見ない高度な防災版デジタルトランスフォーメーションを実現させようとしている。

実は、CERDが発足するまで、大分大学には防災を守備範囲とする学部が存在しなかった。だからこそ「なぜ大分大学が?!」という話になるのだが、それを語るためには、ある研究者を紹介しなければならない。CERDのセンター次長、鶴成悦久教授だ。

PROFILE

鶴成悦久

つるなり・よしひさ。大分大学減災・復興デザイン教育研究センター教授。1977年大分県杵築市生まれ。鹿児島大学で西隆一郎教授のもとに海岸環境工学を学び、鹿児島工学院専門学校で教鞭をとりながら博士を取得。2017年から大分大学に移籍し、産官学の連携を推進する学内機関で地域防災に貢献。本業の研究も続けており、忙しい日々の合間を縫ってはウミガメに会いに海辺へ出かけているとか。

 

いきなり訪れたチャンス

鶴成氏の専門分野は、海辺の環境保全に関わる海岸環境工学。長年、鹿児島県で測量の技術を用いながら研究を続けてきた。海岸は、川やその源流である森と連動するもの。その自然環境を調査する上で災害がもたらす問題は避けて通れず、やがて研究の意欲は防災にも向けられていった。

鹿児島は台風、豪雨、そして桜島の噴火…と日常的にハザードと隣り合わせの土地柄。自然、そして人命を守るためにも、(当時)世の中に登場したばかりのGIS(地理情報システム)やドローンを使い、災害対応に活かせる仕組みがどうやったら構築できるのか模索していた。

 

そうして充実した研究者人生を歩みながらも、「地元大分の農家の長男坊として、いずれは親元に帰らなければと思っていた」という鶴成氏は、2017年4月に地元の大分県へ帰郷。タイミング良く大分大学産学官連携推進機構で公募があり、「災害対応に貢献する仕組みを構築したい」と志願。実績と思いが採用に結びついた。その前年に熊本地震が起き、防災意識が高まっていた頃だ。

「鹿児島時代、被災調査にドローンを使う研究もしていたのですが、大分県もドローンの活用に力を入れ始めた時期で、ベクトルが一致したんです。大学の研究と産官、そして地域を繋ぐポストを与えられ、帰ってきたからには経験を生かして地元に貢献したいという意気込みでした」

 

とはいえ、当初は孤軍奮闘モード。大分大学では個々の研究者が防災というテーマに向き合ってきたものの、学部や組織として防災研究の歴史がないことも手伝い、どこに行っても「突然地元に帰ってきた若造に、いったい何ができるんだという雰囲気でした」と苦笑いする。ところが皮肉にも、着任早々、大分県各地で災害が相次ぎ、彼は存在感を示していくことになる。

2017年5月、県南部の豊後大野市で大規模な地すべりが発生。江戸時代、お殿様にも献上されたと伝わる米の産地で広範囲に及ぶ地割れが起こり、日毎にその幅が拡大していた。

地すべり発生直後の様子(提供:CERD)

 

「自然発生的に大規模な地すべりが起きる頻度は決して高くありません。ただ、シラス台地の鹿児島では現場経験があったので、メカニズムも予測される経過も、私の頭の中には入っていました。しっかり調査して見解を市にフィードバックし、災害対応に貢献できるというモデルケースを作りたいと思いました」

地すべり発生の一報を受けたとき、鶴成氏はのちにCERDのセンター長に就任する理工学部の小林祐司教授と同席していた。建築分野で都市防災を専門とし、分野は違えど志を同じくしていた学内で唯一の人物だった。

「一緒に地域防災に取り組みませんか」――そう声を掛け、2人で現場に駆けつけた。

 

個からチーム、そして組織へ

これをきっかけに、縁が縁を呼び、仲間の輪が草の根的に広がっていく。その数日後、日建コンサルタントの吉田靖社長が偶然、鶴成氏の研究室の前を通りかかった。それは、かつて国土地理院が主催する技術発表会で知り合い、同郷の鶴成氏に「早く大分に帰って来んね!」と言ってくれた人。

再会の喜びにまかせて、「社長、ドローンを貸してください!研究費がないです!」と直談判したところ、快く引くけてくれた。そして吉田社長は、方々に「面白いヤツが帰ってきた。今までにないことをしてくれるだろう」と紹介し、人脈を広げてくれたという。

 

さらに、学内でも自然地理学の先生らを誘うと、鶴成氏の周りにはあっという間にチームができていった。そのチームで、大分大学認定研究チーム(BURST)に応募。異分野連携や地域課題の解決を目指す研究グループを大学がバックアップする制度だ。これに認定されたチーム名が、「大分大学減災・復興デザイン教育研究センター」だった。本気度100%の研究者たちの熱意で、能動的にCERDが誕生したのである。

「自分ひとりの研究であれば、周囲に声をかけることはなかったと思います。ですが、私のミッションは産学官を繋ぐこと。それにはチームが必要でした」

こうしてCERDが産声を上げた直後の2017年7月、今度は九州北部豪雨が発生した。線状降水帯が記録的な大雨を降らせ、福岡県と日田市でかつてない河川の氾濫、浸水、土砂災害により、37名の命が失われ、激甚災害に指定された。追い討ちをかけるように、9月には台風18号が沿岸部を直撃。約3000軒が浸水被害に遭った。

九州北部豪雨で大規模な土砂崩れに飲まれた日田市小野地区の様子(提供:CERD)

小野地区までの道は塞がれ集落が孤立。復旧工事が複数年続いた(提供:CERD)

小林祐司先生と台風18号の被災調査を行う様子(提供:CERD)

 

この頃からだ。現場で災害調査や復興支援を行うCERDの活躍がマスコミに取り上げられるようになり、学外から「CERDを大分県の防災中核拠点にしてほしい」という要望が寄せられ始めた。そして2018年の1月、チームとして誕生して1年足らずで、CERDは学内組織として再編成された。

その3ヶ月後、CERDの意義を決定的にする悲劇が起きた。

 

日本の災害対応システムに潜む課題

2018年4月11日、午前3時40分頃。中津市耶馬溪町で、民家4軒をのみ込む土砂災害が発生した。静かな山里で、急斜面が崩落した衝撃的なニュース映像が報じられ、騒然となった朝。何より皆を驚かせたのは、その土砂崩れが「1滴の雨も降っていない」中での出来事だったことだ。

発生直後の土砂災害現場。約200mに渡って山肌が崩落した

 

発災の原因が判らないうえ、土砂には大型トラック級の岩が混じり、行方不明者を救助しなければならないのに二次災害の危険も伴う状況。現場には自衛隊、警察、消防をはじめ数百名が駆けつけていたものの、経験のない災害を目の前に救助活動は困難を極めていた。

「誰もが最初は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。何が起きているのかさっぱり分からず、とにかく情報がなく、指示を出すことも難しい状況だったからです」

 

(提供:CERD)

 

現場が僻地だったことから、災害発生地の中津市によって現地対策本部が設置された。しかし、地方の小さな自治体が未曾有の災害に対応するには、設備や技術や人材や、さまざまな面で脆弱。調査データがなかなか集まらなかったり、持ち込まれても形式がバラバラだったり、難しいデータを的確に分析できる人もいない。

そこに救いの手を差し伸べたのがCERDだったのである。

「最初の3日間、我々はドローンを飛ばして現場を測量し、データを共有し、発生メカニズムや危険箇所を助言していきました」

 

本来は災害調査目的で現地入りした鶴成氏らのCERDだったが、行方不明者の救出という災害対応の最重要ミッションが行き詰まる中、対策本部のブレーンとなっていき、中津市長から正式に災害派遣要請が出される。すでに人命救助のタイムリミットとされる「72時間の壁」が迫っていた時だった。

救助が捜索に切り替えられても、最後の行方不明者が見つからない。しかし現場を見た鶴成氏は、行方不明者の“居場所”をその場で分析し、無事発見された亡骸を家族の元へ還すことができた。

「近くにある橋の図面を基準にして厳密な測量を行いながら、周辺の土木構造物や遺留品が土砂にどう流されたかを分析し、ピンポイントで捜索活動を絞って行っていきました。行方不明者の方はご自宅にCDをたくさんお持ちだったと聞いていたのに、土砂からは全く見つかっていない。ということは、その方も、そこまで流されているわけではなく、元々家があった場所に埋もれていると確信しました」

二次災害を引き起こしかねない雨予報が出たため、捜索を切り上げる直前の劇的な結末であった。なおこの時、気象台の防災対応支援チーム「JETT」の応援を得て、雨の降り始めや降雨量を予測。ギリギリのタイミングで決行した最後の作戦が功を奏した。

「災害対応に携わってきた中でいちばんホッとした瞬間でした。経験のない災害の場合には、対策本部に専門家を加えて、救助や捜索に科学的検証を役立てていくこと。それが今後の災害対応に求められる重要な課題だと思います」

このケースを教訓に、2019年2月、大分県はCERDと「災害対策の連携に関する協定」を締結。CERDという組織が常時、県の災害対応に携わっていくことが決定した。その中で、災害情報の共有と運用の高度化を目指すことになり、災害情報活用プラットフォームの開発が進められていった。その名を「災害情報活用プラットフォームEDiSON:Earth Disaster Intelligent System Operational Network(エジソン)」という。

 

「EDiSON」が叶えるもの

例えば災害が発生すると、自治体による対策本部が設置され、その要請に応じて自衛隊、消防、警察、建設業などさまざまな機関が対応していく。今や土砂崩れ現場の復旧工事にも人命救助にも、衛星やドローンを駆使した最先端のテクノロジーを活用できる時代だが、各機関が所有する情報を一つのプラットフォームで共有できているかといえば、NOである。それに、災害の規模が想定外であればあるほど、仮に情報が集約されても自治体の首長には専門的判断が難しい現場も多い。

つまり、バラバラの情報を一元的に統合し、さらに専門的視野で分析し、効率的に活用する必要がある。それを可能にするのが「EDiSON」だ。

災害情報活用プラットフォーム「EDiSON」のトップ画面

 

さらに、CERDが目指しているのは、EDiSONを一つのツールとして「活用」し、地域防災をとりまく社会のシステムに変革をもたらすこと。集約された情報を発災時の対応にはもちろん、防災・減災教育、そして復興支援にも幅広く役立てることで、この災害多発時代を生き抜こうというビッグプロジェクトなのである。

平時のEDiSONは、15時間先までの気象予測データやIoT地震計の観測データなどを記録する。また、避難所情報から過去1300年間に大分県で起こった災害の記録までを蓄積しており、これらをAIで分析することで、災害の危険度がリアルタイムで数値評価できる。河川氾濫や土砂崩れの危険が迫れば、EDiSONの示すデータがいち早い避難の目安となる。

 

開発には、大手システム会社「SAPジャパン」と地元のIT企業「ザイナス」が貢献。大学の知恵と、民間の技術と、行政の施策が形になった。他にも多くの地元企業が関わっており、地域防災という共通のミッションのもと、普段はライバル同士の企業もスクラムを組んでいる。

「今、情報は滝のように溢れています。それを取捨選択しながら、必要なデータを示していかなければなりません。そのためにはまず、情報を一元的に集め、分析するシステムが必要。さらに、それを平時の訓練などにも転換していきたい。EDiSONは、それを可能にするために実装する、ひとつの仕組みに過ぎないのです」

EDiSONはすでに試験運用されており、令和2年7月豪雨の災害対策本部でも使われた。残念なことに、早めの避難情報を発出したにも関わらず6名の命が失われてしまった。それを「今回もダメだった」という感情論で済ませないのがCERD、そしてEDiSONの存在意義だ。起きたことを風化させず次の教訓にしてもらうため、鶴成氏は「図上訓練」という減災教育を被災地で展開している。

(提供:CERD)

 

図上訓練とは、実際に起きた事実を照らし合わせながら、ハザードマップ上で行う防災訓練のこと。災害発生時の雨量や河川の水位を時系列で振り返りながら、避難したタイミングや場所が正しかったのか、はたまたどういう行動をとるべきだったのか、当事者に復習してもらうのだ。また、スマホが繋がった場所や目立った現象などを被災者の体験として記録し、その地域の教訓として守り継いでもらう。

この訓練で、住民に示すエビデンスとしてEDiSONのデータがフィードバックされている。

こうした被災地の活動では、学生たちも汗を流している。CERDの傘下には「学生CERD」という学生団体が存在する。被災地で災害ボランティア活動に参加した学生たちが自主的に立ち上げた、こちらも能動的な組織である。

令和2年7月豪雨の被災地、天瀬町で活動する学生CERDのメンバー(提供:CERD)

地域住民とのふれあいも復興支援のひとつ(提供:CERD)

 

学生CERDのメンバーは、災害復旧の現場で学生ボランティアのまとめ役になり、地域の行政担当者やNPO団体とも連携しながら、ボランティアが解散した後も復興支援に関わっていく。図上訓練の際は、顔の知れた住民同士では話しにくいことも、若者が携わることで分かりやすく話をしてくれるというメリットもあるらしい。

「一過性で終わらせず、被災地域に関わり続けていく。それが、私がいちばんやりたいと願っていることです」

ちなみに大分大学では、CERDが主催するボランティア講習の受講者のみに被災地への派遣を認めている。被災地に寄り添う心と事前知識を持った者だけが、ボランティアと認められるのだ。

 

失われる命を「ゼロ」にしたい

熱意あるひとりの研究者が、自らの研究の枠にとどまらずいろんな人と手を取り合い、地域防災のまちづくりを実現しようとしている。思えば、私たちは災害が起これば「行政が助けてくれる」と思いがち。そんな既成概念は捨て去って、自分で自分の身を守る術や、地域のコミュニティで助け合う心をもっと持つべきではないだろうか。「自助、共助、公助。それぞれの役割を全うできる減災社会をつくることが、日本の課題だ」と鶴成氏は言う。

「突然の地震や噴火は防ぎようがありませんが、洪水や土砂災害からは逃げられるんです。津波が来たとしてもリードタイムがある。減災とはいかに早く避難するかに尽きるのですが、それには正しく災害を恐れながら、防災意識を高めていかなければなりません。AIで予測ができることが重要なのではなく、まずは地域内でリスクコミュニケーションを取る必要があるのです」

その実現に向けて、鶴成氏は今後も歩みを止めない。

「うちは他力本願センターだと言っているんです(笑)。周囲を巻き込みながら、社会全体でシステムを作っていきたいですね」

 

地震、津波、豪雨、洪水、噴火といった自然災害にとどまらず、新型コロナウイルスのような感染症のパンデミック、生態系の変化など、私たちはマルチハザードに曝されている。地球温暖化がもたらす影響が全世界に波及する中で、鶴成氏らが進める防災DXが“大分モデル”として成功し、どこでも実現できるようになれば、災害大国日本の強みとして世界に発信できる日が来るかもしれない。

その途上には悲劇もつきまとうが、鶴成氏は未来に繋げたい「命」を見失わない。

「東日本大震災で現場に入って以来、災害で人が亡くなってしまう現実を見てきました。命を失った地域の立ち直りは時間がかかる。でも命さえあれば、人は明るく前を向けるんです。今、私の目の前にある最大のミッションは、災害に奪われる命をゼロにすること。そしてCERDをそのための拠点に育てていくことです」

大分県では現在、縦割りの行政を排除して先端技術を駆使した防災への取り組みが加速している。そしてEDiSONは、2022年度から大分県内すべての市町村に公開される予定だ。

https://www.cerd.oita-u.ac.jp

EDITORIAL NOTE
取材後記

担当・冨松智陽

温泉好きのおんせん県民。湯に浸かり癒されながら必ず頭に浮かぶのが「火山があるおかげなんだな」ということ。自然が豊かであり地球の恩恵を受けられるということは、ありがたくもあり災害とも隣り合わせということです。そんなことを思うようになったのも毎年、毎年のように命の危険を伴う災害が発生しているから。深夜に揺れた熊本地震、大分市内まで届いた阿蘇山の降灰、そして硫黄の匂い。近くの川を氾濫させた滝のような豪雨。過ぎてしまえば風化すると言うけれど、被災地の復旧工事はニュースが報じなくなってもずっと続いていて、忘れようにも忘れられません。だからといって私に何ができるのか? その答えを示してくれたのが、鶴成先生でした。まずは、自分と家族の命を守るための備えをすること。そして先生が叶えたいことを書いて伝えることもできる。そう思って、筆をとりました。最後に、この記事で触れた災害で命を失った方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にも心からお見舞いを申し上げます。

冨松智陽

冨松智陽

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1980年、大分県佐伯市生まれ、大分市育ち。同志社大学文学部を卒業後、東京の編集プロダクション経由で大分へUターン。地元出版社勤務ののち2013年に独立。各種雑誌・WEBの企画・編集・執筆に携わっている。食べ物も取材ジャンルも食わず嫌いしないのが取り柄。関さばが泳ぐ海の上からくじゅう連山の頂上までフィールドは幅広い。

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