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1杯の「くろもじ茶」をたどって

真夏の引越しで、精も根も尽きていた。飛び込んだ鍼灸院で治療を受けたあと、すっと出された1杯のお茶。柑橘を思わせる香りがしたあとに、枝を煎じたような野趣が漂う。思わず顔を上げると、くろもじのお茶ですと先生は微笑んだ。

「くろもじ」と言われても、和菓子に添えられる高級楊枝しか思い浮かばない。身も心も不思議と和らぐ香りに「手あて」されているような心地がした。

このお茶が髙木茶園とのファーストコンタクトだった。ウェブサイトを見ると、茶の一大産地である福岡県八女の中でも、山深い星野村の茶園。カカオやコーヒーでおなじみの「シングルオリジン」という言葉が掲げられ、茶葉の品種や畑の地区などが記されている。

SNSには、福岡のDEAN & DELUCAで日本茶のペアリングイベントを開いたときの投稿もあった。こう言っては失礼だが、山の茶農家らしからぬ洗練された雰囲気。「くろもじのお茶」を飲むたび、この未知の香りをたどって、つくり手に会いたいという思いが募る。かくして星野村へ、髙木暁史氏を訪ねた。

PROFILE

髙木暁史

たかき・あきひと 1973年、福岡県八女市星野村生まれ。茶栽培家、茶師、日本茶インストラクター。高校卒業後、カナダ州立トンプソンリバー大学で経営学を学ぶ。1999年帰国し、髙木茶園4代目として就農。茶の栽培・加工・製品化・販売まで一貫して「自園自製」の茶づくりを行う。2006年より特別栽培に取り組み、福岡県よりエコ農産物栽培農家に認定。2013年より、国内外向けの商品(伝統本玉露・冠茶・煎茶)をシングルオリジン(単一茶園・単一品種)にこだわって提供している。

「茶農家に未来はない」とカナダ留学

星野村で代々茶園を営む家に生まれ育った髙木氏。高校生の頃は、「家業を継ぐのがあたりまえ」という雰囲気に抗いたい気持ちがあった。進路として選んだのはカナダ留学。当時、茶農家の跡継ぎは国立茶業試験場か大学の農学部を目指すのが定番だったため、両親は反対した。

「自分で商売をやりたい気持ちはありました。でも、当然お茶、と決められるのは嫌で。お茶はお年寄りが飲むもので、生産者も高齢化しているし、重労働。先が見えている斜陽産業だと。お茶いえ、農業に未来はないと思っていたんです」

〈▲ 当時は、茶農家になるつもりはなかったと振り返る髙木氏〉

「ここじゃないところへ、と飛び出したのは縛られたくない性格もあったんですけどね」と髙木氏。向かったのは、カナダのカムループス(ブリティッシュコロンビア州)という、山に囲まれた大きな川が合流する自然豊かな田舎町だった。

大学では経営学を専攻し、スモールビジネスマネジメントを学んだ。日本文化についてプレゼンする課題で日本茶について話そうと思い立ち、日本から持ってきた茶道具で普段と同じように淹れた。

その時、飛び交ったのは「Cool!」「Stylish culture」という驚きの声。

面食らったのは、髙木氏の方だ。
「新しさ」の対極にあるはずの日本茶が、クールとはどういうことなんだろうか。

当時、カナダでは“Sushi”レストランなど日本食が話題になりはじめ、インスタントの茶が供されていたが、日本の食材専門店でもティーバッグを扱う程度。多くのクラスメイトは、リーフの日本茶や日本茶を語る日本人に初めて触れ、本気で興奮していた。

古びて見えた実家の家業、「日本茶」の見え方がガラリとひっくり返る瞬間だった。

「僕が外国のすべてを新鮮に感じたように、日本茶にインパクトを感じる人たちがいました。そして、日本茶を英語で語ることは茶農家に育った僕だからできたんだなと。クラスには日本人もいましたが、彼らは日本茶を語るほどの知識は持っていなかったので」

もう一つ、髙木氏の「日本茶観」を覆す体験があった。夏休みにバックパッカーとしてヨーロッパを旅し、「テロワール(Terroir)」という概念に出合ったのだ。人々は食を楽しみ、日本円にして何十万もするワインを買う。彼らは何に対してそんな高額を払うのか?

「ワイン畑やマルシェを歩くうち、彼らはワインや野菜の背景にあるストーリーに価値を感じていると分かりました。どの畑でどんな生産者が育てるのか、手で摘んだのか、木樽で寝かせたのか。ものの生まれ育ちについて、生産者や農家と直接話すことに夢中なんです。

日本では農産物の生産者と消費者が直接つながる場が、今よりもっと少なかった。でも、うちは自分の畑でお茶を育ててお客さんに直接売っているわけだし、近いことをやってる!と気づきました」

〈▲ 1998年、フランス・シャンパーヌ地方のワインシャトーにて 髙木氏提供〉

農産物が「その土地に根ざす」という、あたりまえのことにこそ価値が眠っている

「星野村から海外に向けて、日本茶の背景にあるストーリーを語れば売れるんじゃないか。日本茶にはポテンシャルがあるのかも」と朧げに光が見えてきた。

その後、インターンとしてログハウスのメーカーに入ったものの、「自分じゃなくてもできる仕事」と早々に気づいた。

「僕にしかできない仕事ってなんだろうと考えたら、やっぱりお茶だった。お茶をつくってその魅力を英語で伝えることはできる。勝算は見えないけど、やったほうが絶対面白いと思ったんです」

1999年、髙木氏は茶農家を継ぐと心に決めて、25歳で星野村へと戻ってきた。

まず土俵に立つ!ヨーロッパの残留農薬の基準をクリア

自分がつくったお茶を海外に売りたい――髙木氏の目標は見えたが、その前にやるべきことがあった。

「社会人経験ゼロなので、しばらくは茶農家と二足わらじで自分に足りないスキルを身につけようと。日本茶インストラクターの資格を取り、パソコンの指導員や家電の販売員をやって接客と販売の修業を重ねました。お客さんが何を求めているのか嗅ぎとって、提案する力が磨かれましたね」

一方、畑では星野村の土壌や気候をいかした茶栽培を基本から学び直し30歳となる2003年からは自らが目指す茶づくりに本腰を入れていく。2006年に福岡県が定める減農薬・減化学肥料栽培の認証を取り、その翌年には九州農政局が主催する商談会で「星野茶をヨーロッパへ売りたい」と熱弁したが、バイヤーから「Bio(有機栽培)の認証がないと難しい」と一蹴される。

「柔らかく甘い茶葉を育てるには充分な肥料が必要で、柔らかい葉には虫がきます。無農薬栽培は至難の業。調べると、残留農薬の基準さえクリアすれば輸出できるとわかりました。そもそもヨーロッパでは茶が栽培されていないので、茶栽培に特化した農薬が流通していません。他の農産物に使われている農薬を選ぶしかなく、最初は慣れなかったですね」

数年後、チャンスがやってくる。福岡県の2011年度事業として、八女茶を海外に輸出する生産者が募られた。八女には当時2,000程度の茶農家があったが、手を挙げたのは10軒ほど。ヨーロッパへの輸出を目指してそれぞれ商品化に挑んだが、農薬を減らすと病虫害によって収量が落ちるため半数以上の農家が手を引いた。しかし、髙木氏は減農薬栽培に取り組んできた経験をいかし、ヨーロッパで定められる残留農薬の基準をクリアした

「アメリカは農薬の規制がもう少し緩やかですが、僕はテロワールを尊ぶヨーロッパの市場で自分の茶を売りたかった。それに、ハードルは高い方が競争相手も減って、勝負しやすいので」

2012年、髙木氏は八女茶の生産者を代表して世界最大級の国際消費財見本市「Ambiente(アンビエンテ)」に参加するため、フランクフルトへ飛んだ。

〈▲ 世界各国のバイヤーに英語で八女茶の魅力を伝える髙木氏(左) 髙木氏提供〉

「伝統本玉露」の価値を海外から逆輸入

星野村は昔ながらの製法でつくる「伝統本(ほん)玉露」の産地として日本一の生産量を誇る。

手間と技術を要するため、手がける農家は全国でもわずか。国内では昔から愛好家に高値で取引され、贈答品として使われてきたが、昨今は中元や歳暮の習慣が先細りして苦戦している。

一方で、海外客の伝統本玉露に対する反応は真逆だった。発酵茶が中心の紅茶や中国茶と違って、日本茶は茶葉を発酵させず蒸して甘味や旨味を引き出す。特に、牡蠣やムール貝など魚介を好むヨーロッパ人は、茶の「Umami」をすんなりと受け入れ、畑や品種、生産者による違いといった個性に興味を持つ。フランクフルトの見本市で出会った各国のバイヤーの口コミによって、髙木氏の茶に少しずつ海外客がついていった。

「うちでは、定番の品種『さえみどり』だけでなく、曽祖父が110年ほど前に植えた在来種の畑でも伝統本玉露栽培を行っています。

品種茶は挿木によって同じ品種の茶樹が増えますが(クローン栽培)、自然交配の種を蒔く在来種は一つひとつの種から異なる品種の茶樹が育ちます。色・形・香味もそれぞれ違うので、在来種の畑は品種のカオス、世界で一つの天然ブレンドになる。

野性味のある味わいに、初めて飲む人はこれまでの茶の概念が吹きとぶと言いますね」

〈▲ 樹齢110年余の在来種。挿木で栽培する茶樹の寿命は30年ほど 髙木氏提供〉

〈▲ 氷出しにした在来種の伝統本玉露。取材陣から「ダシ!?」と声が上がるほどの濃厚な旨味〉

今から10年ほど前、忘れられない出来事があった。ベルリンで茶専門店を営むオーナーが、髙木氏の伝統本玉露を仕入れ、日本市場の5倍以上の価格で販売したのだ。

「星野村であなたがつくる茶はそれだけの価値がある。日本で同じ価格で売れないなら、その真価を伝えられていないとうことだ」という言葉に髙木氏は衝撃を受ける。日本茶も単一茶園で栽培した単一品種、つまり「シングルオリジン」に価値があることを髙木氏は直感した。

星野茶のシングルオリジンとしての価値を国内外に伝えていきたい――そう思い立つも、この時点で自園自製(栽培・加工・製品化・販売まで一貫して行う)のシングルオリジンを掲げる茶農家は、全国に数えるほどしかいなかった。

髙木氏は「日本茶界のカリスマ」として尊敬していた静岡の錦園石部商店・石部健太朗氏を訪ねて語り合い、「日本茶の未来をひらくのはシングルオリジンだ」と確信する。ビジネスの方向性に勝算が見えてきた。

ここで、「日本茶のシングルオリジンがなぜ画期的なの?」と首を傾げる読者のために、日本茶の流通について説明したい。

畑で摘採された茶葉は、「荒茶(あらちゃ)」という葉・茎・粉が混ざった原料の状態で市場に出荷される。問屋の茶師は荒茶を目利きしてブレンドし、自社商品として販売。専門店やスーパーで「○○茶」として販売される商品は、複数の茶農家がつくったさまざまな品種の茶がブレンドされている。ゆえに、品種や農家の個性は 「目隠し」されて消費者にはわかりにくい。

「日本茶の市場では、いつ飲んでも変わらない一定の味が求められてきました。その背景には、日本人が緑茶を飲む習慣は戦後に定着したという歴史が関係します。それまでは上流階級への献上品でしたから。

高度経済成長とともに、緑茶が大量消費されるようになって、いつ飲んでもクセのない同じ味が求められたんですね。顧客好みの味や香りを常時提供するブレンドの安定感こそ茶師の腕の見せどころ。だから、日本人にとってお茶はお茶で、品種まで意識することが長らくなかったんです」

「海外のお客さんに『シングルオリジンしかいらない』と言われて、ハッとしました。お茶は農産品だから、同じ畑や品種でも年ごとに味や香りが変わるのが自然ですよね。僕はお茶屋じゃなくて農家。うちで今とれるお茶の個性を売ろうと。海外で評価される品種の個性や希少価値を日本に逆輸入する、これは自分にしかできない仕事だと思って」

髙木茶園では「一般受けする味」にブレンドすることはやめ、国内外向け商品をどちらも単一品種の茶葉、つまりシングルオリジンで販売することに決めた。ベルリンの茶専門店オーナーや石部氏との出会いを機に大きく舵を切った2013年は、髙木氏にとって転機の年となった。

「畑から個性を引き出し、畑に戻す」茶農家のシングルオリジン

〈▲ ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアからお客さんが見学に訪れる  髙木氏提供〉

2015年頃から髙木氏の茶畑を見に、外国からバイヤーやお茶の愛好家が星野村まで乗合バスでやってくるようになっていた。テロワールを愛する人たちは、ワインとブドウの関係同様に、茶のルーツは畑にあると考えるのだ。

髙木茶園の畑は耳納連山(みのう れんざん)の標高150mから600mに点在し、南向きで日当たりが良い。それぞれの茶畑の土壌や気候に合わせて、栽培する品種や摘採時期を調整している。

私たちは、昔からいいお茶がとれる一等地「土穴(つちあな)地区」で、伝統本玉露の畑を見せてもらった。元々は川だったとされる砂礫の多い低地で、水はけの良さと肥料の持ちのバランスがいい。きれいな水色が出る地質だ。

〈▲ 土穴地区で栽培する「さえみどり」。川霧が日光を遮るため茶葉の旨味が増す〉

伝統本玉露の生産には3つの条件が定められている。

1. 枝を剪定せず自然な樹勢を保って養分を葉に届ける「自然仕立て」で栽培すること。

2. 一番茶の生産期に20日ほど稲藁の「すまき」で覆って95%以上遮光すること(光合成が進むと独特の旨味が出ないため)。

3. 柔らかい新芽11.5葉を手で摘むこと。

100kgの生葉を商品に仕上げると12kg程度にしかならず、その希少価値の高さが窺える。

〈▲ 「すまき」で茶樹を覆う。稲藁は通気性が良く、覆い下の気温や湿度が茶に適した環境になる 髙木氏提供〉

〈▲ 慣れた手つきで一番茶を摘みとる近所のご婦人たち 髙木氏提供〉

「海外のお客さんは全国の茶畑を見て回り、畑によって環境が違うことをよく知っています。そんな彼らでも、山奥にすまきに覆われた畑が広がる風景は目にしたことがないし、川霧の様子も目を輝かせます。試飲して砂礫のミネラルを感じる』『Noriの旨味に通じるねと言うので、その感性にこっちが度肝を抜かれるんですよ」

〈▲ 現在「すまき」を編む農家は一軒のみ。今後は茶農家で手分けしてつくることに

髙木氏が所有する圃場(ほじょう)のなかで、海外客にもっとも喜ばれるのが標高600mの「耳納地区」にある茶畑。耳納連山の頂上付近で、土穴地区より気温が約6℃低い。寒暖差が大きく山霧が濃く出る環境で、肥料持ちがいい赤土が特徴だ。

〈▲ おくみどり」「おくひかり」「おくゆたか」など晩生種の新芽(耳納地区) 髙木氏提供〉

「お茶の力は、育つ自然環境で決まります。人ができることはわずか。その品種に必要な肥料の量や施肥のタイミング、遮光の調節するくらい。冠(かぶせ)茶は高値がつくとはいえ、遮光が適する品種ばかりじゃない。香りに個性がある品種なら冠せない方がいい。茶農家としてシングルオリジンを掲げる以上、それぞれの品種の個性のどの特長を尊重するかを見極めて、品種の個性を最大限引き出す栽培に一番手をかけたいんです」

「茶は畑で完成する」と、髙木氏は言う。香り、甘味、旨味などは茶葉を摘んだ瞬間から刻一刻と劣化する。

お茶は再現性が命です。湯を注ぐと、畑で芽吹くように開く茶をつくりたい。そのためには茶葉にダメージを与えない栽培と加工が必要。飲んだ人に『茶畑の風景が目に浮かぶ』と言われたら、茶農家冥利に尽きますね」

星野村には「茶虫(ちゃむし)」と噂される人たちがいる。朝昼晩ずっと茶畑にいて、葉や土、日あたりを眺める老練の茶農家のことだ。

「何をしてるんかと聞いても、茶と話しとるとしか言わない。そこに目に見えない努力があるんです。僕は今、星野茶のシングルオリジンを国内外に打ち出すことに精一杯で、茶農家としてはまだ未熟。伸びしろがあると思ってますよ」と髙木氏は笑う。

「入り口」を仕掛けて、星野村という産地を守る

「日本茶の新潮流」としてシングルオリジンがメディアで取り上げられるようになったのは2017年頃からで、国内での認知度は今も高くはない。

「ペットボトル茶も最初は売れるわけがないと言われました。でも今や、急須で淹れたお茶を飲んだことがない世代にも日本茶との接点を広げる役目を果たしています。これから、新しい楽しみ方を伝える勝機はあるはず」

髙木氏は若い人たちと直接話せるイベントに意識的に参加している。彼らに響くのは、海外で日本茶が注目されているという情報。

「日本茶は健康にいいとシリコンバレーの企業で人気ですよ」と、ここでも価値の逆輸入を試みる。彼らは「お茶を好きでいいんだ」とホッとした顔をするそうだ。

2022年に福岡のDEAN & DELUCAでシェフと日本茶のペアリングイベントを開いたのは、日本茶の多面的で奥深い楽しみに触れてほしいという思いからだ。

〈▲ DEAN & DELUCAのシェフ吉川 道太郎氏(上段左から3番目)と演出を工夫。玉露を淹れた後にその茶葉をのせたタルトを振る舞った 髙木氏提供〉

そもそもの話。お茶の初心者が自宅でシングルオリジンを気軽に楽しめるのだろうか? そう問うと、髙木氏は「もちろん」と即答する。

「煎茶は湯の温度が難しいと思われがちですが、誤解です。お茶は懐が深く、水・氷・60度の湯・熱湯、それぞれの温度ならではの味わいが出る茶の品評会では熱湯で淹れます、良くも悪くも茶の個性やクセが一番強く出るので。気になる品種を1つ買って氷と湯で飲み比べてもいいし、2つの品種を買って同じ淹れ方で比べても面白いです」

同じ品種なのになんでこんなに違うの、という驚きがあればよし。正解はなく、自分の「好き」を探すことを楽しめばいい。それはコーヒーやチョコレートに通じる世界だ。「入り口」に気がつけば、日本茶の「沼」は深い。

〈▲ スウェーデン人の日本茶インストラクター、ブレケル・オスカル氏も日本茶の魅力を伝える同志 髙木氏提供〉

また、髙木茶園や星野村という産地に関心を持ってもらおうと、髙木氏は王道の緑茶以外の「入り口」も用意している。その一つが、冒頭で紹介した「くろもじ茶」だ。耕作放棄された茶畑の増加に歯止めをかけるため、茶以外の作物を育てたいという思いがあり、ふと目に止まったのが山に自生する「くろもじ」。ウッドショックの影響で、木材ごと伐採されつつある状況にも危機感を覚えていた。

くろもじに含まれる香気成分にリラックス作用があると知って、お茶にできないかとひらめいた。くろもじ茶の流通量は全国的に少なく、自生する木を商品にしたものがほとんど。そこで、例年作物として計画的に栽培し、茶として販売したいと考えたのだ。

新しい顧客層を振り向かせ、星野村に関心を持ってもらうために「和のハーバルティ」として打ち出したところ、東洋医学やヨガなどに関心の高い人たちの間で「眠る前に飲むとホッとする」「心が整う」といった口コミが広がっている。

〈▲春に咲く、くろもじの花。今年も畑に苗を植えた 髙木氏提供〉

「留学や海外営業は、ここを離れて外から見る経験だったんです。環境の希少性に気づいたからこそ、星野村という産地を残したい」

話題性の高いコラボレーションなどで産地ブランドの知名度を上げるのも一手ではあるが、髙木氏は「星野村が産地として続くこと」につながる手を探し続ける。

国内の需要は「ペットボトル用の大量生産品」か「個性を楽しむ嗜好品」に二極化し、大量生産の緑茶は輸入に脅かされている。星野茶が産地として生き残る道は、後者だと髙木氏は断言する。

「嗜好品としての魅力を伝えるには、日本人の日本茶に対する評価の低さをひっくり返さないと。まずは、お茶でお金は取れないという飲食業界の固定観念を変えようと、カフェや日本料理店のオーナーに質のいい日本茶を有料で販売することを提案しています。

星野村の茶畑としての環境の価値と、日本茶の多面的な魅力を国内外にコツコツ伝えるには、僕一人では限界があるので、ファンからファンへ伝道活動も広げていきたい。たとえば、料理と茶のペアリングを提案できて、茶を美しく淹れられる『お茶のソムリエ』にあたる人材を育てる取り組みにも今年から関わっています。

コロナ禍の影響で減っていた海外客の視察も増えつつあって、最近はタイやインドネシアで日本茶カフェがアツいんですよ。うちの海外の売上比率は約20%僕の海外伝道活動も成果が出つつあるので、遠巻きに見ていた星野村の若い人たちもシングルオリジンに関心を寄せてくれています。小さな波でも、産地を守る力につながれば

かつて「茶農家に未来はない」と思っていた髙木氏は、星野村の畑と茶の可能性を強く信じている。

お茶には未来しかない、今ではそう考えています」

EDITORIAL NOTE
取材後記

担当・正井 彩香

髙木さんという人が、お茶に表れる。生い立ちや過ごした場所、出会った人、つまり人生が。「僕のターニングポイントは“人”です」と語ったように、髙木さんの個性は他者という「外」にさらされて培われてきたのかもしれません。シングルオリジンは茶葉とともに「つくる人」を味わうこと。この人に会いたい、この人から買いたい。そう思わせるお茶に引っ越し早々巡りあえるなんて、幸運でした。

正井 彩香

正井 彩香

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1974年、兵庫県神戸市生まれ。広告制作会社勤務を経て、2002年に取材・執筆・編集・広告を手がける「マサイ文作室」設立。京都の老舗・社寺の代表者を100人以上インタビューするうちに人の話を聞く面白さに目覚める。2008年、福岡市に移住。通りすがりの旅人の目で地域文化(食・まつり・ものづくり)を取材することがライフワーク。2014年より福岡の本のイベント「ブックオカ」の仲間とミニコミ誌「読婦の友」を発行。

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