日本で2都市目の認定を受けた有機農業の町

大分県臼杵市――豊後水道に面しており、古くは城下町として栄えた地。市街地は、曲がりくねった道があり、当時の名残がある。

そんな臼杵市が2021年、日本で2都市目となるユネスコ創造都市ネットワークに加盟した。醸造・発酵文化や質素倹約を旨とする郷土料理、そして「有機の里づくり」という食に関する3つの分野が評価されたという。そのなかで、市内の農家と臼杵市が連携して進めている「有機農業」の推進は、ユネスコ認定の第一歩になった事業だった。

同地で、30年以上前から有機農業に取り組み、現在は市と連携して有機を広める活動を行っている人物が、本記事の主役・藤嶋祐美氏である。

30代で地元・臼杵に戻り、「自分の家で食べる分だけ」というスタンスで農家としてのキャリアをスタートさせた後、ひたすら土地に向き合い、農業の本質を突き詰めて、農薬や化学肥料に頼らない有機農業を独自に切り開いてきた。

また、学校給食への有機野菜供給研究会や臼杵市長認定の有機ブランド「ほんまもん農産物」の推進協議会などの会長を務め、現在も地域で循環できる食文化の追求に奔走している。

有機農業に憧れ、都会から地方移住までして就農する若者が一部にいるが、多くは夢やぶれて数年で農業から離れてしまうという。今から30年も前にUターン就農で、しかも有機農家のほとんどいない地域の中、どのようにして藤嶋氏は有機農業を確立させ、地域に影響を及ぼしたのだろうか。

藤嶋裕美

ふじしま・ひろみ。1957年、大分県臼杵市生まれ。高校卒業後、東京大学工学部に入学。在学時から塾講師や家庭教師の道へ、卒業後も講師を続ける。30歳前半で大分へ帰郷し、個人経営の塾を開業。並行して、有機野菜を育て始める。その後、有機農家の専業に。2006年から「給食畑の野菜」有機農業推進協議会会長やほんまもん農産物推進ネットワーク会長などを務め、臼杵市と連携して、有機野菜を広める活動に従事する。現在も、ユネスコ創造都市ネットワーク「食文化分野」の活動や地域おこし協力隊の研修講師などをおこなう。

臼杵市が推進する有機農業を地域の“トップランナー”としてサポート

ユネスコから“食文化のまち”として認められた臼杵市では20年ほど前から有機農業の推進活動を行っている。学校給食への有機野菜の提供や地域おこし協力隊の受け入れ、完熟堆肥を製造する「臼杵市土づくりセンター」の運営など。そのサポートを、地域を代表する有機農家でもある藤嶋氏が行っている。

臼杵に有機農家がほとんどいない時から有機栽培にこだわり農業に従事している藤嶋氏だが、実は30代前半まで農業とはまったく関わりのない人生だった。

臼杵で生まれ育ち大学入学時に上京、東京大学工学部へ進んだ。工学部を選んだのも、当時はモノづくりに興味があったからだという。藤嶋氏の少年時代はまさに高度経済成長期。大学に入る時期は、バブル経済を前にした安定成長期にあり、日本社会は今後も成長していくものだと誰もが信じていたし、世間一般にも、いい大学へ進学して、大きな企業へ就職するのが一つの成功の形であった。

しかしながら臼杵の自然で育ってきた藤嶋氏にとって、都会の生活は少々忙しく、窮屈なもの。その延長線上にある「豊かな未来」を自分の未来と重ねることは簡単なことではなかった。

「まちには刺激もある。おもしろい遊び場所もたくさんある。たしかに“楽しい”が、ここで生活し続けることができるだろうかとおぼろげながらに感じていました」

大学卒業後の進路は、在学時からやっていた塾講師。中学生や高校生に講義をおこなっていた。

「当時の生徒は、受験に押しつぶされそうな子どもが多かった。もちろんそうならないように、受験がうまくいくように講師をしていましたね」

〈▲育苗専用の畝も持つ。苗から有機で徹底している〉

誰もが無理をしているように見えた。未来の幸せのためとはいえ、今の今、幸せなのか。今の不幸は未来の投資として「仕方ない」と諦めるしかないのだろうか。若き日の藤嶋氏は「仕方ない」で意見や議論を封鎖する風潮、経済合理性がことさら重視される都会の常識にどうしても馴染めなかった。

そもそも大学卒業後、工学やモノづくりの道に進まなかったのも経済合理性だけを求める社会への疑問がぬぐい切れなかったからだ。

東京で塾講師を10年ほど続けた後、30歳を超えたころ、地元大分へ帰郷。当初は大分市内で個人事業主として、塾を開講していたという。その傍ら、祖父母の代からある畑で、自分たち家族で食べる分だけの野菜を有機で育て始めた。

「家族で食べる分くらいは、本当においしい有機のものを食べたかったんですよね。なぜ有機にしたか? 私にとって大きかったのは水俣病ですね」

水俣病。日本窒素肥料(当時)の水俣工場の工場排水に有機水銀の一種「メチル水銀」が含まれており、これを摂取した地域産の魚介類を食べた人々が、次々と中毒症状を起こしていった日本公害史に残る大事件である。

「企業や国、引いては社会全体が経済合理性を優先した結果、起きた事件だと思っています。一方、農業の世界でも安定的に収量を得るために、農薬や化学肥料が当たり前に使われています。その当たり前が、私にとっては当たり前に思えなくて…。私が農業をやるなら、そういうものを使いたくないと思ったんですよね」

「地域で循環することが本当のSDGsだと思う」

兼業とはいえ農家となった藤嶋氏。地域で有機農業をやっているのは2～3戸程度で、ノウハウを教えてくれる“師匠”もおらず、もちろんネットもない時代である。基本、独学で有機農業のいろはを学んでいったという。

「他の地域とかだと、有機をやるというと、虫や病気の問題でやめてほしいという声があるとも聞きますが、臼杵は特にそういうことはなく、ある程度自由にできたし、(農薬をつかう)慣行農家さんなどとも交流がありました。その点は、有機農業をはじめやすい環境だったとは思います」

ちなみに祖父母から受け継いだ農地は、かつて農薬を使用していた場所。そのため、藤嶋氏は当初「土づくり」に注力していったという。

「有機農業で一番重要になってくるのは土づくりなんです。土は生きているという考え方で、いいものをつくるのであれば、土を育てていくことが最優先事項。農薬をまいた土には、ミミズがいなくなるし、作物の根っこが伸びなくなります。いい土だと、生物が土をつくってくれる。作物の根はしっかりと伸び、微量な栄養分をしっかりと吸って育つようになりますね」

取材中、畑からおもむろにスナップえんどうをもぎ取って食べさせてもらったのだが、これがすこぶるうまかった。藤嶋氏の言う「“えぐみ”がない」という表現がまさにその通りで、不快な苦味がなく、それでいて味そのものが濃ゆい。

農薬や化学肥料を使わないから単純にうまくなる、という話ではないのであろう。それらを使わないことで否が応でも増える負担を受け入れ、自然と対峙し度重なる失敗の上に、この「うまさ」があるのであろう。たった一口のスナップえんどうの「説得力」は、それほどであった。

〈▲はちきれんばかりに太ったスナップえんどう。うまい〉

藤嶋氏が農業を専業にしたのは、帰郷から7年ほど経ってから。当初は塾の経営と有機農業の2足のわらじだったが、自家消費だけと思ってはじめた農作物が消費しきれないほどできていた。そのころから、直売所などへの販売を始め、専業へ。専業になった後も、有機にこだわり続けたのは、地域に良い循環をつくりたいという想いがあったからだ。

「有機農業は循環農業なんです。まず良い土をつくる。良い土になるまでは、最低5年。私の場合は10年経って、ようやく野菜の味が変わったなと感じました。糖度計だけでは測れない甘さや旨みのあるものができるようになったのです」

「土が良くなると、地域一体の土地や森、林、あらゆる生態系にとって良い影響があると私は考えています。そんな土地に雨が降り注ぎ、その水は河川へと流れるので河川も浄化される。そしてそれは海へとつながり、海の生態系にもいい影響を及ぼす。そうやって、有機農業から地域の良い循環を生んでいきたいんです。

近年よく言われているSDGsですが、それは循環を意味していると考えています。その循環は、地域単位で回していかなければ、SDGsは達成できません。農業は、お天道様からのエネルギーを作物に転換できる、唯一のSDGsだと思っています」

「給食畑の野菜」で地元の子どもたちに“ほんまもん”の野菜を提供

愚直に土や農産物を向き合い続けていた藤嶋氏はやがて、野津町(当時。2005年、臼杵市と合併)において有機農家の代表になることが多くなり、その頃から地域で有機農業を推進する立場として積極的な活動をするようになった。

一方で、臼杵市は2000年から地元の子どもたちへ地元野菜を提供する取り組み「給食畑の野菜」を開始。同時期に、藤島氏をはじめとする旧野津町の有機農家の有志らも同様の取り組みを始める。 2008年に臼杵市と野津町が合併すると、さらに活動は活発化。「給食畑の野菜」で扱う野菜も減農薬から有機栽培へと転換されていく。

当時の藤嶋氏は、民間側の有機農家グループのリーダー役として、行政側と連携を取って、企画を行うことが多かったという。

「子どもたちに安心で安全、そしておいしい野菜を味わってもらいたい、そこから親世代まで有機野菜の魅力が伝わると嬉しいですね。そうするなかで、 “地域で循環”していく、という意識が臼杵の消費者の人にも伝播していってほしいかな」

〈▲通年食べられ、重量のある野菜を中心に給食で提供〉

現在、市内全体の12%にあたる公立の幼稚園や小中学校で「給食畑の野菜」が提供されている。今後、それを増やしていきたいとしているが、供給力にはまだまだ課題が残っているという。まずはジャガイモやニンジン、玉ねぎなどの重量があり、通年で食べられるものを中心に栽培し、またさまざまな種類の野菜を安定的に提供できるよう、貯蔵試験を行っている最中だという。

〈▲リピーターが増えているという臼杵市長認定のほんまもん農産物。金色の「ほ」シールが目印〉

藤嶋氏が臼杵市と連携し始めたのは「給食畑」がきっかけだが、そのほかにもさまざまな活動で協働している。

一つ目が、2011年から始まった「ほんまもん農産物」の生産だ。臼杵市が独自の認証制度だが、審査は有機JAS認証機関に委託している。

「ほんまもん農産物」とは、有機物を十分に発酵させてつくる完熟堆肥で土づくりを行い、化学肥料や化学合成農薬を一切使わずに栽培された臼杵産の農産物のことを指す。市民、県民が安心・安全で本当においしい野菜を食べられる環境づくりを行うためにはじめた認証制度だ。

現在は、一部ふるさと納税の返礼品として全国にも発送しているが、基本的には臼杵市内のスーパーや大分市の百貨店で販売しており、地元住民中心に提供している。一般的な野菜より少し値段は張るが、健康を考えたり、よりおいしいものを求めて人気が高まっているようだ。少しずつだが、住民の有機農業への意識が浸透してきている結果だ。

土づくりに欠かせない堆肥を市が協力して製造

〈▲一次発酵で1か月、二次発酵で3か月、熟成で2か月かけて完成させる〉

2つ目が2010年に完成した「臼杵市土づくりセンター」だ。有機農業を続けていく上で欠かせない堆肥をつくるセンターだが、行政で管理・運営しているところは臼杵くらいだという。こちらは、野津出身の有機農家である「なずなの会」の赤峰勝人氏を中心に、当時の市長と連携してつくり上げた完熟堆肥「うすき夢堆肥」を製造している。赤峰氏とともに、藤嶋氏も有機農家の代表として、堆肥事業のアドバイザーとして参加した。

「動物性を主にした窒素分の多い堆肥だと、土に栄養が過剰にいきわたってしまいます。そうすると、土壌が肥沃化してしまい、野菜も“えぐみ”のあるものになります。うすき夢堆肥は、草木を中心に有機物を十分に発酵させているもの。バランスの良い土をつくるのに欠かせない要素です」

〈▲こちら完熟堆肥「うすき夢堆肥」。臭いはほぼなく、自然の土に近い状態〉

草木を8割、豚ぷんを2割の割合で混ぜ合わせ6か月熟成発酵させて、自然の腐葉土に近い堆肥にしている。製造のポイントは、草木と豚ぷんを混ぜ合わせる前に、草木を事前に破砕膨潤処理をしておくこと。そうすることで、通常1年以上ほどかかる製造工程を、6か月のサイクルで回せるようになるという。

「有機農業で最も時間のかかる完熟堆肥の製造を、市が協力してくれることは非常に大きいですね。私たち農家単体で堆肥をつくると、その労力がすさまじいものだったので……」と藤嶋さんは笑う。

地域おこし協力隊の受け入れを中心に人材育成にも注力

〈▲6期生の阿武直志さんと。阿武さんは協力隊として有機農業を学んで1年になる〉

一農家を超えて臼杵市の有機農業の推進に尽力してきた藤嶋氏。その努力の成果もあり、市内の有機農家は60戸を超えるほどに増えた。そのなかで、藤嶋氏が力を入れているのが、人材育成だ。7年ほど前から地域おこし協力隊の受け入れを開始。年に1～3名の協力隊員を見ている。

「今で6期生まで受け入れています。関東や関西から来る子が多いですね。基本的には、自由にやらせています。こちらがすべて教えるよりも、失敗をしながら学ぶほうがいい。農作物は基本的に1年に1回しか収穫できないので、一回の失敗は、本当に大きいものですが学びも多いんです。なぜ失敗したのか、どうしたらそれを覆せるのか。自分の頭で考えて学んでいくほうが、将来を見据えてもいいと考えています」

協力隊は3年で卒業。卒業生の地元や臼杵市外で有機農業を行うことも選択肢としてあるが、卒業生のほとんどは臼杵市で農家をはじめているという。若い力がどんどん増えてきており、有機野菜をつくるのはもちろん、流通やPRの部分でも大きな役割を担う。

「協力隊とは別に、1か月のみ、お試しで有機農業を体験しにきたご夫婦もいました。そういった体験型のプログラムを今後定着させていきたいですね。生き方や選択肢が増えてきているので、有機農家の意義みたいなものを発信していけたらと考えています。それで、100人に1人にでも刺さって、動いてくれる人がいれば十分です。

都会の人を地方に向けて、農業に従事しやすい環境を整えることが、持続可能な循環を生みだすために重要だと私は思っています。そのためにできることを、これからもやっていきたいですね」

いい土はいい海につながる。藤嶋さんが思い描く循環の未来

循環できる地域をつくるために、よりよいものをつくって、よりよい環境にしていく――。藤嶋さんが思い描く未来はぶれない。いい土、いい野菜、いい水、いい環境。すべてがつながっており、すべてが循環している。有機の可能性は農業分野だけにとどまらず、他の分野にも影響を与えることができると語る。

「いい土は漁業にもいい影響をもたらします。臼杵の漁師さんともよく話しており、将来的には、畑にミネラルの豊富な貝や海藻を使った肥料を使ってみたいという構想もあります。ただ、貝が心地よく育つ環境ってなかなか難しいんです。私が子どものころは、砂浜で貝掘りをよくしたものです。ですが、今はそんなところはなくなっていますね。これは私の理想ですが、畑を全部有機に変えて、貝が育つ砂浜を復活させたいですね」

ユネスコが認めた「食文化のまち」大分県臼杵市で、土がつくる地域の循環を創造するオーガニック農家・藤嶋祐美の静かなる想い

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