福岡県うきは市に、いま日本中から注目される会社がある。それが「うきはの宝 株式会社」だ。
キャッチコピーは「75歳以上のばあちゃんたちが働く会社」で、ばあちゃんたちが調理や接客を行う「ばあちゃん食堂」や、惣菜の販売や編み物の制作など、“ばあちゃんたちが得意なこと”を仕事にしている。
令和2年度の農林水産省が主催する、農山漁村地域の地域資源を活用する「INACOMEビジネスコンテスト」で、なんと最優秀賞を受賞したというこの会社のことが知りたくて、代表の大熊充氏を取材した。
大熊充
おおくまみつる。1980年福岡県うきは市出身。バイク事故での約4年の入院生活後、 2014年にデザイン事務所を創業して代表に就任。2017年専門学校日本デザイナー学院九州校に入学し、グラフィックデザインとソーシャルデザインを学ぶ。在学中にボーダレスジャパン主宰の社会起業家育成の学校、ボーダレスアカデミーを修了して起業プランを固め、うきはの宝株式会社を2019年10月に設立、代表取締役に就任。2020年福岡県主催のビジネスコンテスト 『よかとこビジネスプランコンテスト』で大賞、2021年農林水産省主催の「INACOMEビジネスコンテスト」で最優秀賞を受賞。
「コロナが理由で、今はばあちゃん食堂は休んどるとですよー」と、出迎えてくれた大熊氏。というわりに、ふだん食堂として利用しているという古民家を改装したコワーキングスペースには、ひっきりなしに人が出入りしている。
ともに事業を立ち上げた農家の人、インターンとして一緒に働いている人、今度塩ラーメンを提供するために開発中の仲間、そのラーメンに使う卵の生産者などなど。いろんな話が飛び交い、だれもがあっという間に顔見知りになっていく様子に、「うきはの宝」が単なる利益追求の会社ではない様子が、既に表れていた。

「うきはの宝」周辺には、いろんな人がやってくる。「誰が社員だったか分からんごとなります」と大熊氏
好きなことにばかりチャレンジしていた若い頃
大熊氏は(現在はうきは市と合併した)隣町の吉井町で育った。
「落ち着きのない好奇心旺盛な子やったです。そのまま中年になっている気がしますね(笑)。なんでもチャレンジしては失敗ばかりでしたけど、経験値がたまって、やっといまできることが増えてきたところでしょうか」
彼の旺盛なチャレンジ欲は、生半可ではない。最初はバンド活動。しかし団体行動に向いていないと、次に総合格闘技に熱中する。本格的なジムで鍛え上げるも、体を壊して格闘家の夢は諦めることに。続いてハマったのは、バイクの世界。走ることよりバイクそのものの仕組みに興味が湧き、自分が好きなコンセプトを掲げたショップや職人を探しては、日本中を転々としながら“修行”に明け暮れた。
「ここの技術を身につけたい!と思ったら、飛び込みでお願いに行きました。当然1回目は断られますが、何度も足を運んで、弟子にしてもらうんです。いま思うとすごい行動力でした。僕はハーレーダビッドソンや、古いホンダのバイクが好きなのですが、ホンダのバイクを解体してみると、絶対ありえないような部品が試験的に取り入れられていて。モノを通じて本田宗一郎さんの考えに触れたような気がしたこともありました」
こうして次々と自分の好きなものに猪突猛進、没頭する大熊氏に、思いがけない転機が訪れた。バイク走行中に、大事故を起こしたのだ。
ドン底で味わったのは「誰にも必要とされていない辛さ」
手も目も油にまみれるまで、ヘトヘトになるまで働いた帰り道、ハンドルを誤り石に乗り上げて中央分離帯に突っ込んでしまった自損事故だった。しかし「それも定かではない」と大熊氏は当時を振り返る。意識を失って、気がついたのは病院のベッドの上。26歳だった大熊氏は、それから骨の再生のための手術を繰り返し、4年間もの長期入院を経験する。
「ほとんど記憶にないくらい、辛い時期でした。病院の先生からは、もう力仕事は難しいだろうと言われましたし、最初はお見舞いに来てくれていた家族や友人も、これだけ入院が長期化すると頻繁には来られません。誰も僕のことを必要としていないのではないか…というのが、ボディーブローのように効いてくるんですよ。しかも自業自得の事故で誰を責めることもできず、あのときはほとんど廃人のような状態でしたね」
そんな状態に陥っていた大熊氏の固く閉ざされた殻をコツコツと叩く人がいた。同じ病院に入院していた“ばあちゃん”たちだ。
「病院では若いもんが僕だけだから、とにかくばあちゃんたちが話しかけてくるんです。『なんで怪我したとねー』『どこがどうあるとね』ーって、僕が聞いて欲しくないことを、何度も何度も。長い間無視し続けていたのですが、ある時あまりにしつこすぎて、つい笑ってしまって(笑)」
ばあちゃんたちが、壁を乗り越えてきた瞬間だった。
「それからは徐々に吹っ切れてきました。僕の怪我は、ばあちゃんたちには関係ないですしね」と大熊氏は笑う。
自分が指名されているように思った
退院はしたものの、折しもリーマンショックのタイミングで、なかなか就職が決まらなかった大熊氏は、デザイン会社を立ち上げる。勉強しながらウェブ制作を行い、クライアントワークをこなす日々。うきは市では頼りにされる存在となり、スタッフも増えてきた。
ところが7〜8年働くうちに、なんとなく疲弊しているのに気づいたという。
「一年通して担当したお客さんでも、次の年に契約が続くかは分からない。なんなら下請けとして扱われることもある。目先のデザインだけ整えることが、本質的な役に立っているんだろうか? と疑問がわいてきました。
デザインというフィルターを通して企業の役に立つ、利益に貢献するということではなく、地域の課題とされている分野を直接仕事にするという方法もあるんじゃないかと、スタッフと話し合うことが増えました。やりがい、働きがいが、自分たちの中で変化してきたタイミングだったんでしょうね。
そして地元・うきはを眺めてみると、他の地域同様に解決すべき課題は山のようにあったんです。人口減少、高齢化、産業の少なさ、などなど。じゃあ地域の課題解決を仕事にしよう!と思ってはみたものの、当時はどこから手を付ければいいかは、まったくわかりませんでした」
そこで大熊氏は手始めに、自分の職能(=デザイン力)を地域の課題解決にいかせないかと、福岡市にある専門学校「日本デザイナー学院 九州校」でソーシャルデザインを学ぶことにした。自分の中に渇望があった大熊氏は、そこでぐんぐんと吸収する。が、まだまだやるべき事業は具体化しない。
そんなある日、九州各地のまちづくりに携わり“地域活性化請負人”とも呼ばれていた木藤亮太氏を授業のゲストに招いた時に、いまでも大熊氏の支えとなる言葉と出くわす。
「木藤さんは、まちづくりの話をする時にRPG(ロールプレイングゲーム)の例えを出したのです。地域のプレイヤーはまず優秀である必要はなくて、とにかく勇者となって旗をふる人が必要だ。そうすれば姫を助けようと、優秀な仲間がぞくぞくと集まってパーティができて冒険が始まるんだよ、と。
その時、木藤さんに深い意味はなかったと思うのですが、『大熊くん、君がとにかく旗をふればいいんだ』とも言われました。それで『そうか!僕は、優秀ではないけど、旗をふることはできる』と、指名されたような衝撃を受けちゃったんです(笑)」
衝撃のままに大熊氏は、本サイトでも取材した、多くの社会課題を事業化しているボーダーレス・ジャパンの田口一成氏の「ボーダーレスアカデミー」に参加する。社会起業家を目指す人のためのプログラムだ。
素直にキャッチし、“やばいスピード”で進める
ここで大熊氏は、いまの「うきはの宝」につながるビジネスの素案をつくることになる。
「地域をよくしたいと発表した最初の案は、田口さんから『みっちゃん(=大熊氏のあだ名)、それ5点』と言われました。10点満点かと思ったら、100点満点の(笑)。
僕のプランは、地域のみんなをよくしたいと言いつつ、その“地域”も“みんな”も全然明確ではありませんでした。自分は誰と事業をしたいのか? 誰の手助けをしたいのか? 解決したいのはなんなのか? そこを深く考えていくうちにうっすらと“ばあちゃん”というキーワードが浮かんできました。そこからボーダレスアカデミーで必死にコンセプトを固め、ビジネスプランを構築していきました。 ボーダレスアカデミーだったからこそ、代表の田口さん、講師、アドバイザーの方々、一緒に切磋琢磨していた同期の仲間がいたからこそ、立ち上がれたと思っています」
市役所や社会福祉協議会を訪ねれば、地域課題は分かるだろう。しかしデータはとり方、統計の仕方次第で違った姿を見せる。そう考えた大熊氏は、当事者の話を直接聞こうと、高齢者の無料送迎サービス“ジーバー”を始める。「近隣への用事に無料で送迎する代わりに、ちょっと話を聞かせて」という交換を持ちかけた。調査をするならば、同時に課題解決もしよう!と動いたというわけだ。
“買い物弱者”という言葉もあるが、高齢者がちょっとした移動にも困っているという点をサポートするという目的で考えたボランティアだったが、はたしてジーバーは大人気を博する。買い物だけでなく病院や市役所、散髪や友達に会いになど、用途は様々。
その結果、いろいろなことが分かってきた。

チラシを病院や社会福祉協議会などに置いてもらっていた
「大きな問題が2つあると感じました。それは“孤独”と“生活困窮”です。ジーバーを利用してくれた人たちの中には、今週初めて話すのが僕だという人が少なからずいました。一人暮らしの人も多いのですが、実は家族と暮らしていても孤独だというケースもあります。
生活が苦しいというのにも様々なレベルがありますが、多くの人が口にしていたのが『年金が、もう2〜3万円あるとずいぶん楽になる』ということでした。月にプラスで2〜3万円で、楽になるというのです。全部の問題の解決にはならないけど、ばあちゃんたちが働くことができる会社を作ったほうがいいだろうな、とうっすらと感じるようになりました」
ジーバーで大熊氏が仲間とともに送迎し、直接会って対話をした高齢者の人数は、のべ5000人あまり。思いがけない副産物もあった。
「ある時、方向が一緒だったので乗り合わせをお願いしたばあちゃんが、『おねえちゃん!』ともう一人のばあちゃんに駆け寄ったんです。子どもの頃近所に住んでいた知り合いに、なんと60年ぶりの再会だったのです。
嫁いだとはいえ隣町なのに一度も会ったことがないと聞いて驚きましたが、車の免許を持っていなければ生活圏は自ずと狭くなるのかもしれないことにも気づきました。いまでは一人暮らし同士で寂しいので、毎晩電話をしているそうです。
3人の90代たこ焼き仲間のばあちゃん達もいます。たこ焼きやさんで食べて、お土産を5パック買って帰るのが楽しみだったのだけど、誰も運転ができなくて何年も集まれていなかったそうです。そこを僕がピックアップしてまわることで再会を果たせたというわけです(笑)」
シルバー世代の困りごと解消と調査が目的だったが、思いがけず友達と再びつながったり、新しく仲良くなったり。やはりつながる仕組みや場が必要だと大熊氏は確信を深めていく。
ばあちゃんたちが得意なことを仕事に!
こうして2019年10月に生まれたのが、75歳以上のばあちゃんたちが働く会社「うきはの宝株式会社」だ。会社にしたのは、ビジネスのほうが持続可能性が高いという理由から。
事業内容は、「ばあちゃんたちの“知財”である知恵と特性を活かしたサービス」としており、ばあちゃんたちが調理してサービスする「ばあちゃん食堂」や、発酵食品や惣菜、漬物等の製造卸、編み物ブランドの運営やばあちゃんたちの知恵のアーカイブ化などを行う。この事業内容にも、こだわりがある。
「ばあちゃんたちの収入を増やすという意味では、労働力として人手が不足している分野の仕事を請けるという方法もあったかもしれません。が、それは止めました。どうして80歳にもなってなお“稼ぐ”だけの仕事をしなくてはならないのか。せっかくだったら、ばあちゃんたちが得意なことや、向いていることをマネタイズしたいじゃないですか!」
多くの人に共通する得意なことが、料理だった。だったらまずはそこを仕事にしようという順番だった。人づきあいが得意な人は、接客を担当。黙々と作業をする方が向いている人は、製造や調理。ばあちゃんたちの性格も仕事に反映されている。
出勤状況に応じて、それぞれに2〜3万円ほどのギャランティが支払われているという。現在は、75歳以上の「ばあちゃん」が12名、70〜75歳の「ばあちゃんJr.」が3名、60代以下の「かあちゃん」が3名の18人が働いている。
「お分かりかもしれませんが、ネーミングはジャニーズ方式です(笑)。いまはコロナ禍で活動できていない面も多いのですが、目下1か所に集まらず、ばあちゃんたちが分散していても製造ができるよう、“ばあちゃんふりかけ”を開発中です。これを販売できるように準備をすすめています」とのこと。
ここで気になったことを聞いてみた。ばあちゃんへの信頼、愛情は端々に感じるし、一緒の仕事仲間になっている。大熊さんのRPGに出てくるメンバーは、ばあちゃんばかりだ。じいちゃんたちは、なぜここに加わっていないのだろうか?
「よく聞かれます。こればかりは、もうしわけないことにまず仕事にしやすいところから取り組んでます、と説明しています。実は一緒に働いているじいちゃんもいるのですが、その方たちはなんというか“ばあちゃん的”なじいちゃんなんです。人と話すのが好きだったり、人と一緒に作業することに喜びがあったり。
もちろん一般化できるものではないのですが、現実的に高齢の男性の中にはそれまで働いてきた肩書や権威から離れられない人もいます。そうなると、なかなか新たな人間関係を構築しにくいのです。もちろん将来的には農業など、じいちゃんが働けるような場も考えたいと思っています。だけど、いまはまだそこまで余裕がない。まず、ばあちゃんたちとの仕事を優先して取り組んでいきたい」
人に必要とされることが、幸せ
働き始めたばあちゃんたちには、様々な変化が生まれている。自分の作った料理を食べた人に「ありがとう」と言われて、暮らしにハリが生まれた人。働いて得たお金で、我慢していた晩酌を始めた人。病院に行く回数が減ったり、働くときだけ、ふだん使っている杖が必要ないという人もいる。
「うきはの宝」はあっという間に注目され、多くの行政や団体が視察に訪れている。1期目はコロナの直撃で赤字だったにもかかわらず、2期目の2021年度は既に黒字に転じる予定という驚くべきスピード感だが、大熊氏にはジレンマもある。会社としての実績を積むよりも先に注目が集まってしまい、モデルづくりが間に合っていないという点だ。
「まずは決算書を開示できるくらい、この事業の形をマネタイズして、それからモデル化してということを、本当は3年くらいかけてやりたかったのですが、思いのほか評価の方が先に立ってしまって。早いところ取り組みを広げなきゃと思っているところです。
いろんな可能性が考えられます。僕自身はばあちゃんたちが得意なことを仕事にして、輝いて、稼げたほうがよいと思っていますが、福祉の領域から見ればマネタイズが必ずしも必要ではないかもしれない。大学と共同で、ばあちゃんたちが働くことによる健康面や医療費が減るという財政上のメリットの研究もできるかもしれません。
取り組む内容も、別に食堂である必要もありません。僕自身は、フランチャイズを統括してばあちゃん組織のドンになるつもりはないので(笑)、この事業のコアをどう伝えることができるかを考えたいですね」
以前は自身の欲望の赴くままに、“自分の好きなこと”に邁進していた大熊氏。そんな彼が、いまなぜこれほどまでに地域のため、ばあちゃんのために動いているのだろうか?
「子どもの頃、よく“人に迷惑をかけるな”と言われていましたけど、あれって本当なのかな?って。誰かに依存するのが、社会であり地域でありコミュニティです。頼ったり頼られたりできる地域である方が、豊かです。
僕自身、自分のためだけに生きるのに限界を感じました。ではどんな時に幸せだろう? と考えると、誰かに必要とされている時なんですよ。必要とされていない時期の辛さを知っているから、なおさらです。特にいまは、ばあちゃんたちから必要とされるとめちゃくちゃ幸せです(笑)」
取材を終え、いまはコロナのためお休みしている食堂スペースを使って、ばあちゃんたちとふだん一緒にメニュー開発をしている管理栄養士の古賀智子氏が定期的に提供しているランチをいただいた。これが実においしい。

うきはの食材をふんだんに使った「野菜350gのお昼ごはん(880円)」。ちなみにばあちゃん食堂のメニューは、もうちょっと渋めだそう
大熊氏の中には、若い世代がばあちゃんたちに人生相談ができるサブスクリプションサービスや、ばあちゃんの知恵を次の世代に残す教室などのアイディアもうごめいている。多世代がごちゃまぜになって、お互いを頼ったり頼られたりしながら、やりがいを見出すこと。そこに、大熊氏はこれからの地域が豊かな場となる可能性を見ている。
住所 | 福岡県うきは市浮羽町浮羽756 [Google mapsで見る] |
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電話番号 | 0943-76-9688 |
URL | https://ukihanotakara.com/ |
取材後記
担当・浅野佳子
大熊さんがソーシャルデザインについて勉強し始めたのが2017年。この会社の企画を考えたのが2019年。そして今に至るまでのスピード感にとにかく驚かされました。ビジネスモデルそのものが優れているということは当然ながら、大熊さんの「人の話を素直に聞く」人柄に惹かれて、周りの人達が手伝おうとどんどん集まってくるのだと感じました。仕事って、単に図示できるようなものではないことを実感した取材でした。残念ながら取材時はコロナ対策もあってばあちゃんたちとお会いすることができませんでしたが、今度は働いているばあちゃんのお話も聞いてみたいな。
取材・文 浅野佳子