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2021年3月8日、インタビュー原稿に着手し始めたその日。インスタグラムやツイッターでは、可憐なミモザの花とともに、「国際女性デー」のハッシュタグと、明るいメッセージがあちこちで飛び交った。

1975年に国連が制定した国際女性デー。我が国でも年々ジェンダーギャップへの関心が高まっているとはいえ、世界経済フォーラムによって発表される、最新の日本のジェンダーギャップ指数は121位(153カ国中)。G7で最下位、調査開始以来の最低順位と世界の変化に追いついていないのが現状だ。

全世界の女性たちの勇気と決断を讃え、地位向上を目指す日。私は、いまから書き進めようと思う一人の女性について、あらためて思いを馳せた。

熊本県天草市。九州の端にある小さな島で、未だ男性中心の労働慣行が色濃い水産業において、あらゆるジェンダー格差や女性格差をはねのけながら事業を展開し(もちろん、簡単にというわけでは決してない)、いまもふるさとの島に根を張りながら、5人の子どもたちとともに、自分の人生を生ききる――そんな女性。自らに課した使命を背負い、経済的に自立した天草をつくるために立ち上げた「クリエーションwebプランニング」代表・深川沙央里氏の物語に、少しの時間、耳を傾けてほしい。

PROFILE

深川沙央里

ふかがわ・さおり。1981年、天草市牛深町の網元に生まれる。2009年にクルマエビ漁家に嫁ぎ、2013年に地域特産品のECサイトなどを運営するクリエーションwebプランニングを立ち上げた。2男3女の6人家族。農林水産祭水産部門および女性活躍部門日本農林漁業振興会会長賞W受賞。農山漁村女性活躍表彰農林水産大臣賞受賞。

水産業に関われないのは、私が「女」だったから

深川氏は、かつてイワシ漁で栄えていた天草市牛深町の網元(あみもと)の家に生まれた。その頃の日課は、弟と一緒に漁場まで行き、ふぐの稚魚に餌やりをすること。

「全身をぷくーっと膨らませたふぐが、とても可愛かったんですよね」。彼女は当時の思い出をにこやかに振り返る。生まれ育った牛深町はその頃、「獲る漁業」から「育てる漁業」に力を入れ始めたころだったという。

のどかな漁港町のやさしい記憶とは裏腹に、ふるさとをとりまく環境は、年々厳しさを増していた。漁獲量が減り、過疎化が進み、目に見えて衰退していく。幼少時代から海洋少年団の活動などを通して天草の海と積極的に関わり育ったが、18歳の時についに大型まき網船団が姿を消すことになる。つまりは、船団を組む必要がなくなるほど漁場が減少したのである。

家業が廃業するかもしれない。どうにかして助けたい。ところが、それは叶わぬ願いであることは、本人が一番わかっていた。それは「長女」だったから。

「牛深町のしきたりで、女性がまき網船に足を踏み入れることは禁じられていました。私は小さな頃から父の背中を追いかけて、水産業に関わることを夢見ていましたが、当時は女性が安全かつ継続的に、生産活動に取り組める体制はまったく整っていなかったんです」

「おんなが、水産をやるとはどがんこつか」――これが当時の、ふるさとからの、また親からの無言のメッセージだった。仕方なく、彼女は熊本市内の私立高校の理系コースへと進学。しかし、実家がいよいよ切迫した状況となり、薬剤師の道も諦めざるをえなくなる。

卒業後は特にやりたいこともなく、さまざまな仕事を経験。そのなかで、再度湧きあがってきたのが、水産業への想いだったという。

「なんというんですかね。とにかく、関わりたかったんですよね、海と。海のそばに、いたかったんです」

キッカケは、真鯛の塩カマ! 工場の隅で見出した未来

25歳になると熊本市内で鮮魚店に勤務。何かわからないことがあれば父親に連絡するようになり、気づいたときには、ついつい家業に“口出し”するようになっていったという。

「天草は物流困難地域で、たとえば関東のお客様が魚がほしいと思っても、注文から届くまでに最低4日もかかってしまうんですよ。そのリードタイムを縮めるためにこんなことをしたらどうか、あんなことをしたらどうかなど、アイデアが思いつけば、実家にたくさん提案しはじめたんです」

そんなやりとりが続いたことからも、26歳で実家に戻り、ひとまず加工場で働くことになったが、そこでも深川氏のアイデアや事業所への改善提案は止まらなかった。とにかくさまざまな場面で無駄が多いと気づいたのだ。

ただその都度、容赦なくお父さんからの「ブレーキ」がかかる。「これで今までやっていけとるとだけん、おまえはいたらんこと(余計なこと)をせんでよか」。そんなことを言われても諦める彼女ではない。何かアイデアのタネはないかと探し、提案を続けた。そんななか活路を見出した商品が、鯛の塩カマだった。

「真鯛を3枚おろしにするとカマや中骨が廃棄されるんですが、それを使って惣菜の商品開発をしたんです。みんな一様に『儲からない、儲からない』というので、だったら儲かる商品をつくればいいんじゃない? というのが私の考え(笑)。

とはいえ工場は本格的に稼働させてもらえず…。だから最初は私と同級生と、同級生のお母さんと3人だけで、夕方から工場の隅でせっせとつくっていました。2〜3カ月してやっと、様子を見ていたパートのおばちゃんたちが『何か手伝うことはなかね?』と言ってきてくれた。あの時は本当に、やった! という気持ちでしたね」

余計な仕事を増やすなと言われたが、確実にビジネスにつながるという勝算はあった。結果的に惣菜は、初年度で1000万円を売り上げたという。本来であれば、捨てられるはずの素材からうまれた新たな付加価値。もちろん、その売り上げのほとんどは利益となった。

仲間とともに、天草のうみ ひと しごと をつなげる

深川氏が事業を営む、熊本県の南西部に位置する天草市について改めて説明しよう。

熊本県の主要な海域(漁場)は有明海、八代海、および天草灘の3つの海域に区分される。刺網漁業やはえ縄漁業などさまざまな沿岸漁業のほか、各種の養殖業がさかんだ。実は「県魚」はクルマエビ。全国に先駆けてクルマエビ養殖業に着手したパイオニアでもある。

深川氏は地元に戻った後、同年代の漁業者と交流を深めるなかで出会った「友榮水産」の5代目と結婚した。2009年のことだった。

同水産は、明治38年に創業した「丸信水産」の天然クルマエビ蓄養事業を起源とする会社で、当時陸上養殖池を4面(8400坪)保有、年間10トンのクルマエビの生産・出荷を目指して事業展開していた。しかしながら、2000年代後半はすでに熊本県におけるクルマエビ養殖業が、養殖産地としての活力を失った状態にあった。

市場価格の暴落やエビの単価の原価割れなどが重なり、“嫁ぎ先”の経営状況は悪化するばかり。事業の立て直しのためと、彼女の名義で銀行から借りた多額のローンをした後、自宅のガレージに中古のセルシオがやってきたときには、思わず血の気が引いた。お腹の中には最初の子どもが宿っていた。

これは「私」がなんとかしないと、すべて立ち行かなくなると悟った彼女は、まったくの未経験ながら通販事業を立ち上げた。

「まずは、自分でチラシをつくってポスティングからスタート。クルマエビの一般個人向け販売の原型をつくったんです。それから、クルマエビの安定供給というお客さんの要望に応えるために同業者同士で連携をとり、『天草産クルマエビ』として通年出荷させることに成功しました。とにかくあの頃は、まずは食べていくため、子どもを育てていくために必死だったと思います」

販路を拡大するなかで、自社のエビだけでは天候に左右されることがあったりすることから、同業者からもエビを買うようになり、会社から販売事業を独立させたのが2013年のことだ。

「創業後、特に関東のお客様にとってクルマエビが生きた状態で家に届くことがとても新鮮だったことを知りました。こちらでは当たり前だったんですけどね(笑)。それがわかってからは、もっと意欲的に外に向けて売りだそうと決めたんです。

それは自分たちだけじゃなくて、生産者・事業者の仲間たちと一緒に、天草で生産活動を続けていくために、『つくることと売ること』をきちんと両立させたいということ。その手段として立ち上げたECサイト『AMAKUSA 産直市場便』ではいま、クルマエビだけでなく天草地域内の養殖魚、畜産物、農産物、果樹、スイーツなど約100名の仲間たちからあつめた『島の宝もの』を取り揃えています」

同社の合言葉は、「生産者に寄り添う地域商社」。歴史を知り、土地を知り、あたらしい技術を取り入れることで、天草のうみ・ひと・しごとのつながりをもっと大事にしたいと奮闘した。一見なんの会社かわかりづらい「クリエーションwebプランニング」という社名は、天草にいながら世界中に張りめぐらされた情報網をとおして、地域(天草)に必要な情報をキャッチし、 創造性豊かな仕事をプラニング・実行していくという決意が込められている。

現在、同社の主な事業内容は4つ。

通販事業の「つなげる事業」、大切に育てたクルマエビの各種加工を自社加工場で行う加工事業の「つくる事業」。さらにクルマエビ養殖・出荷を行う「そだてる事業」では、抗生剤や成長剤を使わないオーガニック育成にこだわったクルマエビを大切に育てる。近頃は、農林漁業の発展のために、商品開発やブランディングなどを手伝う「つたえる事業」にも力を入れているという。

2020年夏に初出荷となった自社養殖のクルマエビ(和“やまと”クルマエビ)は、完全熊本産の稚えびから育てあげることに成功。現在は大学や企業と連携をとりながら、IoTを駆使した養殖池・生産体制の最適化をおこない、「スマート漁業」による革新を目指す。

男でも女でも、やりたい仕事・生きたい人生を選べる社会へ

「クリエーションwebプランニング」の本社がある天草市楠浦(くすうら)町は、波がほとんどたたない穏やかな湾が広がる、自然豊かな場所だ。加工場、養殖場、そして深川氏が5人の子どもたちと暮らす家は、すべて同じ敷地内にある。働くこと・育てることがゆるやかにつながる場。子どもたちは保育園や学校が終わると、静かに凪いだ海のそばで、長い時間を過ごしている。

“嫁ぎ先”の会社から独立し、ついには夫とも離婚。現在、2歳から11歳まで5人の子どもを育てるシングルマザーでありながら、外の人も中の人も巻き込みながら、事業を着実に成長させてきた。決して平坦な道のりではなかった。いまだに女性であることが障壁となることばかりだ。

しかし同社で働くスタッフも、ほとんどが女性。母親として、経営者として、女性漁業者として彼女は決して自身がつくった“船”から降りようとしない。その澱みない力は、どこから湧き出てくるのだろう。

「海のある天草に生まれて、どこに行くにも、なにをするにも、海がそばにあったんです。私は小さな頃からずっと水産に携わりたかった。でも、その選択肢がなかった。それは女だったからです。だから5人の子どもたちが将来大人になったとき、本当にやりたいことが選択できる社会になっていてほしいという思いだけですね」

にしても、である。海の近くで育ったとはいえ、また好きだからととはいえ、深川氏はなぜここまで水産業に、海に強いつながりを求めるのだろうか。しつこいと思いつつ、その理由について改めて問い直したところ、彼女は堰を切ったように、こう語り始めた。

「私が子どもの頃、漁に出る船に、その家の女の児の切った髪の毛を祀(まつ)るというしきたりがあったんです。それで私が小学校低学年の時、おばあちゃんが、私の髪を数センチ切って、それをうちの船に捧げてくれたんですね。私は女の子だから、船に乗ることができなかったけど、『たくさん魚が獲れますように』って願いを込めて祀られたんです。とても誇らしい気持ちがしました」

ここまで話して、彼女は少し言葉に詰まった。そして、声を震わせながらこう続けた。

「でも、数年後に結局魚が獲れなくなって、家を(家業を)繁栄させることができなかったんですよね……。いまだに役に立てなかったという後悔がずっと消えなくて。だから、大人になったら自分の力で疲弊した町を立て直したい、水産をどうにか盛り上げたいという気持ちが消えないんだと思います」

九州の小さな島で、女性でありながら、水産業に関わり続ける。どこまでも突き進む「自分らしさ」こそが、1次産業の明日を変えていく力となり、世の中に明るい影響をあたえられることを証明している。あらゆる呪縛から解きはなたれた今。その一挙手一投足が、「働き方も、生き方も、自分の生きたい人生を選んでいいんだよ」という、女性たちへのエールのようにみえた。

(写真:山口亜希子)

 

 

 

INFORMATION株式会社クリエーションWEB PLANNING

住所

熊本県天草市楠浦町3237-2

[Google mapsで見る]

電話番号

0120-802-221

URL

https://cwp-jp.com/

EDITORIAL NOTE
取材後記

担当・福永 あずさ

今までなかったことにされていた不条理が、この世界にどれほどあるんだろう。なかったのではなくて、それは確かにそこにあった。深川さんだけの物語ではなく、日本中の一次産業で起こっているであろうジェンダー格差や女性差別について、あまりにも何も知らなかったのだと気づいた。深川さんの「小さな声」は確かに私たちのもとに届き、「知った」から、たくさんの方に「伝えたい」、と思う。そして社会や地域から刷り込まれるジェンダーバイアスを飛び越えて、すべての少女たちの本当の夢が叶う未来が、1日も早くきますように。

福永 あずさ

福永 あずさ

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1984年、宮崎県生まれ。熊本在住のフリー編集者・コピーライター。熊本の大学を卒業後、「タウン情報クマモト」の編集に携わったのち、2013年に独立。おもに九州を中心に、紙・web問わず、多様なジャンルの企画・編集・執筆・ストーリーテリングの仕事に関わる。九州を面白がる動画メディア「Touch your Qshu(タッキュー)」の編集長ポジション。夫はフォトグラファーの内村友造(LOG)。いまも昔も愛してやまないのは酒場の呑み歩き、ひとり旅、猫、BTS。

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